クズになる努力
僕みたいな真面目くんはクズになるのが難しい。
でもクズって自分に正直に生きてるじゃないですか。
だからクズになった方が楽なんだろうなと思うんですよね。
だからクズになるための努力をしようと思います。
最大の敵は自分
真面目くんで完璧主義だと、クズな振る舞いをした時に自分自身で自分を責めてしまいます。
もしくは、他人から「お前はクズだな」と言われることに対して耐えられません。
真面目なので、ちゃんとしたいんです。完璧にしたいから、ダラダラとしたり、人に甘えたり、騙したり、利用したりするのがだめだと思ってしまいます。
この仕事、人に依頼して嫌がられるくらいなら自分でやってしまいたい。みたいなことを僕は繰り返してきました。
でも、これって結局自分自身が自分に課したハードルでしかないですよね。
自分が自分に対してかけた期待の大きさの分だけ自分を縛り付けている。
これを外せるかどうかが1番の課題です。
心にノーダメージなんて無理
自分が完璧に対応したい理由は、誰にも何も言わせたくないからなんですよね。
文句言われたくない。文句を言われなければ傷つかないから。褒められたい。
ただ、心がノーダメージになることは無理なんですよね。
自分自身が、被害妄想という形で何度も自分の心を痛めつけてきますから。
それにどんな立ち振る舞いにもアンチはいます。
清純派のアイドルにだって、難癖つけて「裏では性格悪い」だの「私は嫌い」みたいな意見をいう人もいますし。
自分のダメなところを認める
人間なら、自分で思うダメなところ、振る舞い、性格、思考、あると思います。
でも、それでいいんです。誰もそれを変えられません。変えるかどうか判断するのは自分自身なので。
女癖が悪い人も、酒癖が悪い人も、夜更かしで朝起きれない人も、それが自分の正直な欲望なんだから、まずは認めてあげる必要があると思います。
それはだめだという自分の理性と、自分の欲望が戦っている間はずっと辛いです。
欲望は自分だけのものですが、理性は他人の意見も入ってくるので厄介です。
僕の母親は、毎日後悔しながらご飯をたくさん食べてダイエットに失敗しています。
おいしくご飯食べたら良いじゃない!20年近くダイエットに失敗いている母親をみるとそう思います。もちろん健康的にいて欲しいですけどね。笑
ダイエットはわかりやすいですが、こんな感じでいろんな場面で二重に苦しんでいる人が多いと思います。
人に迷惑を掛けたら謝る必要がありますけどね、自分の範囲に収まっているものに対して、自分自身で自分を責めるのにはあまり意味がありません。
そもそもの理性と欲望がマッチしていない可能性があります。
人より多くのものを食べたい人が、食べないのは無理なんです。食べるものの種類を変えたり運動したり、別の行動が必要です。
そんな感じで、自分はこういう欲望を持った人間なんだ。と認められると、何でもかんでもちゃんとしなきゃ、というハードルを下げられます。
極論生きてれば成功
人間はいつか死ぬので、生存するために生活をしています。
だから生きていれば成功なんです。どんなつらい思いをしても生存ができているならそれは成功ということになってしまいます。
だからどんなクズでも、殺されない限りは大丈夫なんです。
極論って強いですよね。死ぬよりマシって生きてる限りこれ以上はないと思います。死んだらおしまいなんですから。
人から怒られようが、嫌われようが、自分の欲望に従って生存できているなら成功なんだと思います。
クズと認める謙虚さ
色々書きましたが、結局はクズだろうがなんだろうが、自分に対するハードル、期待を外して、自分を客観的に捉えて、クズでも良い。自分らしく生きられていればいい。
そう思えるようになれば、変なプライドがなくなり、謙虚さが生まれます。
謙虚さというのは、目上の人に気を遣って一歩引いて、というのではなく、自分を客観的に捉えて、それ以上にも以下にも見せない態度だと思います。
できない、やれない、不足している、やりすぎている、こういった事実を認める勇気があることだと思います。
それによって失うものもあるかもしれません。でも得られるものもたくさんあるはずです。
一個でも否定されたくないスタンスでいると、「いや、本当はこんなはずじゃない!」となってしまい不要な言い訳をしてしまったり、逆ギレしてしまったり、逃げてしまったりしてしまいます。
「ごめんなさい!」と難しく考えずに言えて、否定を受け入れちゃうのが一番楽なスタンスだと思います。
どうせいつか終わる人生1秒でも多く楽な時間を
人間必ず死ぬので、出来ないことがたくさんあっても大丈夫。
1個も良いところがなくても、50000個良いところがあっても、無作為に毎日人が死んでいきます。
宗教的に善行を積まないといけない人もいるかもしれませんが、そうでないのであれば、一旦死んだらそこで終了と考えれば、そこまでの逆算でマシな人生を送れれば十分かなと思います。
個々人が感じているこれはダメという事象が、本当に自分自身が選んだことなのか、他人の意見ではないか。
欲望は純度100%の自分のものですが、理性は自分と他人の意見の混合物です。だからこそ、どちらを大事にすればいいか考えてみると良いと思います。
死ぬ時になって、もっと美味しいもの食べたかったな、いろいろなところに行きたかったな、いろいろな人と交流したかったな、女遊びしたかったな、みたいに思っても遅いですからね。
ちょっとクズというのは強めの表現ですが、他人から見てクズのような振る舞いでも、自分が納得して、自分の欲望に忠実な行動が取れているなら、それは人生にとっては成功なんじゃないかな。という話でした。
僕も、理性に囚われず、自由を追い求めたクズになっていきたいなと思います。
それではまた明日!