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「理趣経」とは?
【第一章】今も続く日本仏教を「二分断」した理趣経
「お大師さまに出会って」でも書きましたが・・・
延暦寺にて天台宗を開宗した最澄 は国を代表する使節団にて、浙江省の天台山にて至れり尽くせり の留学を終え「密教」を学び日本に戻ってき た。
対してお大師様・弘法大師空海は私度僧、つまり国に認め られていない勝手に頭を丸めて僧を名乗っている者であり、20年留学する約束の一般留学の募集にて遣唐使として派遣された。
しかしお大師様は長安の青龍寺・恵果和尚から「教え」を受け、たった2年で「伝法灌頂・卒業書」を受け、密教の秘仏具とされる仏具を全て譲り受け、日本に戻ってまいりました。
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最澄は「国を代表する使節団」ですら、これらの仏具は貰えなかったのです。
この差が、結果お大師さまが20年の留学を勝手に2年で帰って来た事を天皇にお許しを得て日本で布教が許された最大の理由でもあります。
本来ならば「死罪扱い」の話である。
最澄は「国を代表する僧侶」という立場を一旦捨て、お大師さまに「中国より密教に関する経典・仏具を学びたいので貸してくれ」と懇願いたしました。
そこでお大師様は心より一つ返事で貸し出しをいたしました。
その中にこの真言密教最高の仏典「理趣経」が入っていたのです。
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