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⭐️日本人の本当の素晴らしさを知らない日本人

日本の素敵な歴史―キリシタン禁教への時代背景






日本人の「執着・こだわり」がないからこそ実現できた素敵な史実をお伝えします。




江戸時代⋯⋯⋯




幕府はキリスト教禁止令を出し、キリシタンの炙り出し・虐殺を行った悲しい歴史は中高の「歴史」の授業で習ったかと思います。










まずは日本へのキリスト教伝来に遡ります⋯⋯⋯⋯





世界は「大航海時代」の始まり⋯

こんな言葉からすれば、それぞれの国が大海原に夢馳せて旅立っていった「素敵な時代」に聞こえるが⋯⋯⋯


簡単に言えば「ユダヤの資金を使い、ヨーロッパの国々の侵略の時代、その統治としてキリスト教の覇権争いの時代」である。





初めの頃は「カトリックの独壇場」ではありますが⋯⋯⋯⋯






日本は、織田信長の時代にポルトガルのフランシスコ=ザビエルによって「キリスト教伝来」いたしました。






ザビエルはインドから来日したから、最初の謁見??の島津氏には通訳から「インドから来た僧侶」として紹介された経緯はあったようで・・・





続いて、南蛮趣味と知られている織田信長氏・・・







地球儀や時計など、当時の最先端にあたる知識にも強く興味を示しました。






その一つとして、信長は「キリスト教の布教」を許したのです。







力ある「信長公への忖度」もあってか、キリスト教の布教を許した大名も決して少なく広がりを見せたワケです。





キリスト教はそもそも「一神教」と言う時点で、当時の日本社会にとって全く異なる宗教でした。






確認ですが⋯⋯⋯




戦国時代におけるキリスト教は「カトリック」です。




日本にキリスト教が伝わった時点でヨーロッパで宗教改革は始まっていないからです。




カトリックはキリスト教の宗派の中でも、旧約聖書の「選民意識」を色濃く受け継ぐ宗派であります。





世は戦国、合戦の日々・・・





宣教師達はキリシタン大名らの庇護の下、布教と共に既存の宗教勢力を弱めようと神社仏閣の破壊焼討ちをしたり、敗れた武将の関係者、女や子供を中心にもろとも「マカオ」経由で人身売買・・・





やりたい放題でした💦





なぜか?





彼ら宣教師からすれば、旧約聖書の教え通り「キリスト教信者以外は人ではない」からです。





明らかな「カトリックの勢力拡大の侵略」
ですから・・・




でも来日した宣教師達は、「表の顔」ではキリスト教の教えに従って、「優しき顔」で




「生命尊重」「純潔」「離婚禁止」「一夫一婦制」などを主に説きました。





どちらもカトリックの大切な教義です。





「生命尊重」?不思議でしょ?





普段「博愛」や「人の優しさ」を説いているキリスト教の宣教師がです。


 


「裏の顔」の宣教師達は


キリシタン大名らの庇護の下、布教と共に既存の宗教勢力を弱めようと神社仏閣の破壊焼討ちをしたり、敗れた武将の関係者、女や子供を中心にもろとも「マカオ」経由で人身売買・・・






「当然の流れ」で次の豊臣秀吉の頃には1587年に長崎が実質「宣教師らの自治領」と化していたこと、宣教師の残虐性もバレ、一気に「禁教の流れ」となったワケです。





この時点までの秀吉は、信長同様「日本のルールを守り、信仰を強制しないのであれば、宣教師の活動は認めてもいい」と言う考えだったようです。






実に素敵な日本的考え・・・






現在の政治家や官僚に、この「胆力」の判断が無いのが悲しくなるばかりですが・・・





時は流れ、徳川家康氏は天下統一も遂げ安定した国歌建設のために、宣教師らによる海外貿易の莫大な利益はかなり魅力的だったので一時は「外交関係修復」の方向になりかけてはいたのです。





江戸時代に入る頃、世界ではすでに「カトリックとプロテスタントの勢力争い」どっちが、日本を手中に治めるのかの「せめぎ合い」の激化した時代でした。

 



対日貿易を独占したい「ザビエル系統」のポルトガル。





ポルトガルを切り崩して、少しでも入り込みたいイスパニア。





「新勢力」プロテスタントのオランダ・・・




プロテスタントは、カトリックほど「旧約聖書」を重視してないんです。





また別の記事にてご説明しております。





かたや日本でのキリスト教を保とうとする
長崎奉行・日本イエズス会・・・




それぞれの思惑が入り乱れる「ドロドロ」💦💦😓






これらの国々が日本に接近してきて、あちこちでトラブルになり、その幕府への説明も嘘に塗れた言い訳ばかり・・・





マカオにて日本人虐殺した
「マードレ・デ・デウス号事件」
長崎にて「デウス号事件」、



これに伴う幕府役人への贈収賄事件も絡み、






家康はポルトガルやスペインの「対抗勢力」に見えた
「プロテスタントのオランダとの貿易のみ、
日本国内での「キリスト教禁教・布教禁止」
それ以外は「鎖国」


  


とシフトチェンジしていったワケです。






日本は「オランダのプロテスタント」を認めたのではない。




「海外貿易の莫大な利益」の為、まだ寛容な「オランダ」を選択しただけです。





日本人が「キリスト教を排除」したのではない。





キリスト教宣教師とその国々が優しくなく、「キリスト教を信じない日本人は人ではない下等民族だ」と卑下したからです。





一方的に「日本はキリスト教を禁教にして、残虐非道な反省すべき事案だ」と日本を断罪する話ではない。




どう見えますか?






日本が悪いですか?




「キリスト教宣教師やその国々」が悪いですか?






●日本人は「寛容」だからこそ「排他性」には厳しい

〜日本にキリスト教が広がらなかった理由〜





日本は織田信長の時代にポルトガルのフランシスコ=ザビエルによって「キリスト教伝来」いたしました。



ザビエル氏はインドから来日したから、
最初の謁見??の島津氏には
通訳から「インドから来た僧侶」として紹介された経緯はあったようですが・・・



当時の日本人は「万物に神が宿る」 
自然崇拝や「多神教」である仏教を信仰していたので「一神教」の意味が理解できず、
イエス様を、仏教でいう「大日」つまり「太陽」と理解し信仰したようです。





順調にも見えたザビエルの布教・・・





彼はたった2年で挫折し帰国したのです。





なぜか?





彼にこのような質問が投げかけられ、論破されて言われ挫折したからなんです。





日本人「素晴らしい教えですな。私はキリスト教を信じます。そうすれば、天国にいけるんですよね?」





ザビエル「はい、そうです。キリスト教を信じれば皆天国に行けます!」




日本人「なら、私はキリスト教を信じるから天国に行けますが、家族や親類や友達は天国には行けないんですよね?」





ザビエル「悲しいですが、そうなります。では皆さんで揃ってキリスト教を信じれば皆天国に行けます!」





日本人「今生きてる人はいいけど、私たちのご先祖様は天国には行けないんですよね?」





ザビエル「悲しいですが、そうなります。ではこれから皆さんよりキリスト教を信じれば、子孫は皆、天国に行けます!」





日本人「全知全能の神だとか言って、そんな無慈悲なことを神がするんですか?神は優しい存在です。あの世でご先祖様に会えないのは悲しすぎる。イエス様は優しくない。」と



日本人は上流階級だけでなく、一般庶民に至るまでの「優しさ」・・・善悪を判断する力を持っているのです。





日本人には「当たり前の感情思考」ですが「一神教の他国」にはそれがないのです。






ザビエルはポルトガルの上司に
「日本人は賢すぎる💦もっと格の高い方が宣教師として日本にくるべきだ」と。





格が高いと「日本人を差別蔑視」するだけだのにね





●日本人の素敵な歴史―「僧侶」が隠れキリシタンを守った





それでもキリシタン追放が始まった頃、日本には九州を中心に約50万人のキリスト教教徒がいたんです。




50万人も「寛容」な方々もいたのです。






幕府は、これを「寺請制度(現在も続く檀家制度)」により「どこかのお寺に所属する仏教徒」として「住民登録」させ、さらに「踏み絵」「密告・懸賞金」などあらゆる方策を講じて炙り出しをした。





こんな時代でも、人づてに「宣教師らによる神社仏閣を破壊された話」も伝わるであろう・・・





そんな厳しい時代背景の中でも、「長崎・熊本のお寺」を中心に各地でお寺自ら本堂の下に地下室を設け、キリスト教徒ら「隠れキリシタン」を匿ったのである。





九州の世界遺産になっている事実です。






これは「唯一神」の各国ではあり得ない優しさと慈悲の心を示したのです。






これは仏道の「無益な殺生」をしてはならない信念なのか、はたまた「異説は排除しない」仏教の根本原則に則ったのか、各寺のお考えも考えもあるし、知る由もない。






仏教にて唯一「他宗教他宗派は認めない」異端の日蓮宗・創価学会にはできない話です。





ただこれだけは言えます。






世界ではあり得ない前代未聞の話です。





ある一つの宗教が命を顧みず、損得抜きで「他宗教他宗派の信者」を囲い、助けるなどは他国には考えられない話です。





日本人はそれができる唯一の民族なのです。





だから「杉原千畝氏」のような方が、普通の日本人の姿なのです。





日本の街ん中の工場の「普通のおじさん」でも、その場にいれば「ユダヤ人は可哀想だよな」と判断するでしょう⋯⋯





ここでさらにもっと大切な事は「新しい未知のものを否定せず、他人を尊重し、受け入れる」と言う素晴らしさです、



2016年マーティン=スコセッシ監督の「沈黙〜サイレンス〜」でも描かれていますが・・・





当時の日本人は「万物に神が宿る」自然崇拝や「多神教」である仏教を信仰していたので「一神教」の意味が理解できず、イエス様を、仏教でいう「大日」つまり「太陽」と理解し信仰したようです。





日本人の根底に息づく思想ですが、これは仏教の基本の一つ「戒定恵(かいじょうえ)」から来るものです。




「今までの自分自身を反省し、理解し、ルールとして組み立て、自らの血肉とし、知恵となす。」と説いております。




簡単に思えますが、これは中々困難な作業です。





一旦「今までの自分の考え」をリセットし、先入観・こだわりを捨て、「無」となり、再度理解し、また「新たな自分自身」を組み立て直すのですから、困難です。





「瞑想」「座禅」もその作業の一つです。





日本人は他国と比べてこの作業が容易にできるんです。




 
最近、忘れかけている日本人が多くなっています。





この「僧侶がキリスト教信者を守った事実」は仏教として、日本人の本質として、世界に誇るべき歴史的事実です。





ここで提案します。



アミニズムや多神教の「神の一人」に唯一神を加えると発想を変えませんか?



つまり、アニミズム(自然神崇拝)の「太陽神」が最高神であり、アニミズムのそれぞれの神の一人に「唯一神」や「仏陀や「大日如来」や「天照大神」が存在すると。



心を整えれば、意外とシンプルな話なのですが、どうなんでしょうか?


 

そうすれば「宗教間の歪み合い」「どちらが上かのマウントの心」も無くなる。



そう思いませんか?



アップルのスティーブ=ジョブ氏もこの「無の世界」「戒定恵」は好きだったようです。



幸いなことに、この「僧侶がキリスト教信者を守った事実」は「世界遺産」にも登録されましたし、海外の方々にも是非周知していただきたい提案です。

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