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私の代わりはいくらでもいる
「自分の代わりなんていくらでもいる。代わりがいないと思うなんて、うぬぼれだ。」
25~26歳ぐらいのときに、父から言われた言葉だ。
きっかけは何だっただろう。
確か「私が仕事を休んだら大変だ」のようなことを言ったのかもしれない。
当時、4人だけの部署に所属しており、電話を含む事務仕事すべて私が担当していた。それぞれ自分の仕事を持っていたし、みんな忙しかったから「自分が休んだら大変」と思ったのだろう。
父から冒頭の言葉を言われたときは、正直ムカッとした。
なぜなら、大変だといいながらも、私は当時の役割に満足していたから。
自己肯定感が低い私にとって、自分がいないと仕事が回らない、という環境がうれしかった。
「あかねさんがいなかったから、昨日は大変だったよ。」
と、自分を認めてくれる言葉がうれしかった。
それを父に全否定されたようで、悲しいというより怒りが沸いたのを覚えている。
少し反論した気がするけど、父は笑うばかり。
「あかねの代わりはいくらでもいる。俺の代わりもいくらでもいる。」
どう話がおわったのかは覚えていないけど、父の言葉は私の胸の中にずっと残っていた。
あれから約10年(もっと?)
10年間の間にいろいろなことがあった。
2回の出産と3年の育休、復帰後の仕事。
様々な経験を経て、いかに傲慢な考えだったかを思い知った。
「私の代わりはいくらでもいる。」
父の言う通りだった。
育休復帰後、必要されていた存在から「なんでいるのか分からない存在」になってしまった。
自分自身でも感じていたし、実際に近い言葉を上司にも言われた。
正確には、
「俺は、いるのか分からないとは思わないけど、周りはそう思ってるかもしれないね。」
上司に悪気はないのは分かってるけど、もっと言葉を選べ、と思ったのが正直なところ。
自分の勤めている会社の一部署内という狭い世界の話だけど、その世界で生きる私にとってはつらいことだった。
自己肯定感が下がりまくって、ずっとイライラしていたし、ふいに涙が出ることも一度や二度ではなかった。今でも当時を思い出すと感情が揺さぶられるから、それなりにトラウマになっているのだろう。
それから、感情に振り回される自分が嫌で、なぜ働くのかから深堀りをした。
結論からいうと、根っこにあるのは「子どもため」
世の親はみんな同じだと思うけど、子どもを育てるのにはお金がかかる。とにかくお金がかかる。
私にとって一番大切なのは「自分の子ども」
私のちっぽけなプライドなんかクソだと気づいた。
口が悪いのは重々承知だけど、本当にそう思った。
私が大切なのは「子ども」なのに、その他のことで感情を揺さぶられるのは時間の無駄。ちっぽけなプライドを捨て去り、感情を無にして過ごすことに決めた。
割り切ることができて、精神的に楽になったのは良かったと思う。
と思っていたのだが……
半年後に、割り切りにも限度があるというのを思い知らされることになる。
次回へ続く
書こうと思っていたことから、だいぶ離れてしまいました。笑
どこに向かっていくのだろう。
しばらくお付き合いいただけるとうれしいです!
最後までお読みいただいて、ありがとうございます!