ブラッサンスの「幸せな愛はない」
もともとはレジスタンスの…
フランス人にとって、フランス革命、五月革命とともに重要な歴史的出来事は、レジスタンスだ。第二次世界大戦中のナチスドイツ占領下において、その軍事的支配に抵抗した人たちは英雄である。
ルイ・アラゴンは、まさにナチス・ドイツがパリを占領していた最中の1943年に、"Il n'y a pas d'amour heureux" (幸せな愛はない)という詩を書いた。当時出版物は全てナチスの検閲を受けるので、この詩は暫く秘匿され、翌1944年(パリ解放の年)に公開された。題名だけだと、いわゆる恋愛の詩(うた)かと思えるが、よく読むとレジスタンスに深く係わっていることがわかる。
ルイ・アラゴンの思想と行動
この詩は、アラゴン自身の思想的背景を知らないと理解が難しい。
彼は、ダダイスム、シュールレアリスムの詩を書いた後、社会主義レアリスムに転向し、ナチス・ドイツ占領下で「グレバン蝋人形館」、「殉難者たちの証言」、「詩人たちの名誉」を地下出版し、文筆活動によってナチズムに抵抗した。共産党の対独レジスタンス・グループにも参加した。
だから、"Il n'y a pas d'amour heureux" (幸せな愛はない)もそうした彼の思想と行動と密接に関連している。
特に、最後の一節は、アラゴンの主張が凝縮した部分で、結論的に書かれた重要な部分となっている。
ところが、戦後かなり年月が経ってから(1953年)、ジョルジュ・ブラッサンスがこの詩に曲を付けた時、あろうことか最後の一節を省略してしまった。どうして、そんなことをしたのか?
歌詞にする時省略された箇所
では、まず、ジョルジュ・ブラッサンスが省略した箇所を見てみよう。
原文と私の対訳をご覧いただきたい。
Il n’y a pas d’amour qui ne soit à douleur
Il n’y a pas d’amour dont on ne soit meurtri
Il n’y a pas d’amour dont on ne soit flétri
Et pas plus que de toi l’amour de la patrie
Il n’y a pas d’amour qui ne vive de pleurs
Il n’y a pas d’amour heureux
Mais c’est notre amour à tous les deux
苦しむことのない愛などない
傷つかない愛などない
色褪せない愛などない
そして、君ほど愛国心のある人はいない
涙を生きない愛などない
幸せな愛などない
しかし、それこそが僕たち二人の愛なのだ
どうして省略してしまったか?
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