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バルバラとダリダの恋愛観・結婚観
若い頃の最初の結婚に失敗したという意味では、バルバラとダリダは共通している。ただ、その後の人生を追いかけると、二人がその人生で目指した方向性はかなり違っている。
その相違の意味と結果を順を追って説明しようと思う。
彼女らの最初の結婚
バルバラは、23歳で(1953年)クロード・スリュイという弁護士と結婚した。ブレイク前のブリュッセル修業時代に観客席から犬の糞を投げつけられて傷ついたバルバラのもとへ契約だけでなくマネジメントの面倒も見るという弁護士が現れた。それがクロードだった。
謂わば「保護者」のような男と結婚し、守ってもらいながら歌手として大成したいと漠然と思っていたに違いない。
ところが、この結婚は上手く行かなかった。当時、大衆音楽(シャンソン)の歌手というのは旅芸人(総称でジプシーと呼ばれていた人々)と同等の扱いを受けていた。弁護士が息子にいるような上流の家庭からすれば、芸人を嫁として認めるわけに行かない。さらに、バルバラはユダヤ系だった。しかも、バルバラは家庭に入る気などまったくない。つまり、バルバラはスリュイ家とすれば、受け入れがたい異分子だった。
この家族の反対が、二人を最終的に破局に向かわせたのだった。
一方、ダリダは、28歳で(1961年)音楽プロデューサーのリュシアン・モリスと結婚した。リュシアンは、デビューの時からずっと面倒を看て貰っていたので、謂わば「保護者」のような男と結婚したという意味で、バルバラと似ている。リュシアンは、妻帯者だったが協議離婚が成立しており、結婚に障害は無かった。音楽プロデューサーなので、大衆音楽の歌手に対する偏見はなく、リュシアンがユダヤ系ということでカトリック教会で結婚式は挙げられなかったが、人種差別の問題も無かった。
一見平穏に見える結婚だったが、実は問題を内包していた。バルバラと違いダリダは、女は結婚したら家庭に入り子供を産んで育てたいという古い価値観の持ち主だった。だから、リュシアンに子供が欲しいとさんざんお願いしたが、彼はダリダという歌手の才能を見込んでおり、仕事優先の姿勢を貫こうとしたのだった。
やがて、二人の結婚は行き詰まり、ダリダが浮気をしたことであっけなく破綻してしまう。
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