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自動演奏ピアノ
時々出かける本屋さんにはチェーン店カフェが入っていて、奥には真っ白いグランドピアノが鎮座し、クラシック音楽を奏でている。
だが、それが微妙に下手なのだ。
先日、ラジオで何かの実験の話を聞いたのだけど、曰く演奏をCDなどで耳だけで聴いた場合、ビデオなどで耳と目で聴いた場合、音は無く目だけで観た場合の3
つで比べると、もっとも演奏者の格(?)が分かったのは、なんと最後の音は無く目だけの場合だったそうである。
というわけで前述の自動演奏ピアノだが、もっとも不利な誰かが奏でた音だけを垂れ流す状況なわけだが、絶妙に下手に聴こえる。
私に素晴らしいクラシックの耳があるわけでもないのだけど、通っていた大学には超一流と言われる音楽科があり、一日中、学生達が奏でる演奏を無意識に聴き続けていたせいか、このカフェで聴く演奏が無茶苦茶下手に聴こえる。特に早いテンポの曲がいけない。指が転び、聞こえづらい音もあり、弾きづらい箇所では勝手にゆっくり演奏する。有名曲ばかりなのもいただけない。
さながら、透明な親戚の子どもが演奏しているようなのである。『が、がんばれ、あと一息!ま、待て、その曲はお前にはまだ早い!!もっと練習してからの方が…ほら、言わんこっちゃない』という状況なのだが、相手は何せ透明な存在で、録音された音楽を繰り返し演奏するだけだから、成長はしない。私の応援も焦りもイライラもひたすらに無意味である。
しかし、常にこの下手な親戚の子どもが演奏しているわけでもないようで、今は違う人が演奏するドビュッシーの月の光が美しく響いている。だが、それはそれで有線のような物足りない気持ちになってしまう。
そう、私はこれをそのカフェ内で書いている。あ、また下手な子どもに戻って、「子犬のワルツ」に変わった。なんだ、その投げやりな終わり方は!と透明人間に向かってブーイングしてしまいたくなる。そんな夏日の昼下がり、私は結構幸福である。
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