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言語化する

先日書いたシンガーソングライターの友人から、ふとしたLINEのやり取りをした後、

「なんかこの前 
ちょっと気が引けて言えなかったんだけど

幸せそうな雰囲気があって
なんか綺麗でさ

観察してしまったわ笑」

というLINEが来た。

こういうのを、ちゃんと伝えてくれる人って、すごい貴重だなぁと思った。私自身は、思っても恥ずかしかったり、照れたり、言わなくても伝わってるだろうという曖昧さで言葉にしないことが多くある、ということに、彼女のLINEで気づいた。

そして彼女の言葉を素直に受け入れられる自分にも驚いた。

前だったら、嫌味や冗談と受け取ったかもしれないけど、彼女がまっすぐな人だから、素直に受け取れる。まっすぐと言っても、竹を割ったような…というわけではないんだけど、雑草だらけの田んぼの畦道や獣道のような山道、新宿の雑踏、ネオ東京のごちゃごちゃした高速道路のような道をものともせずに彼女がずんずん進んでいっているイメージ。その彼女から発せられる言葉や音楽などの作品に、救われている人が世界中にいるんだなぁ、と。

大人になって友達を作るのってなかなか難しくて、ママ友、同僚、趣味の仲間など、まっさらにその人自身と知り合うというより、何らかのお付き合いののち、ちょっとずつ距離を詰めていく感じ。その点、彼女は母や妻としてじゃなく、私自身に素のまま向き合ってくれて、ありがたい。

さて、私は別に美しくなっていないし、なんなら着実に老化していってるわけだけど、それでも彼女が言う言葉に心当たりがあるとすれば、

幸せになることを自分に許可した

ということ。相変わらず世界はグロくて、気持ちわるいものが渦巻いているけど、そんな世界でも変わらずある美しく優しいものを拾い上げ、笑顔で過ごすことを大切にしたいと、今切に思う。

全ては「空」で、全てのものは壊れ、朽ちていく。ならば「今」を生きたいな、と今更ながら思う日々です。

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