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高級卵から学ぶ歴史

先日、日本にいる祖母と久しぶりに電話で話した。祖母はおしゃべりなので彼女の日々の出来事を一つ一つ教えてくれる。
最近あった地震、スーパーの安売り、ダブルポイントデ―、通っている病院の話などなど。

Twitter等で聞いてはいたが、やはり「卵が高い」という話題になった。
祖母はある日買い物に行くと行列を目にした。何かと思うと卵を買い求める列だったという。
並んで買った卵は1パック350円もしたんだとか。

あまり知られていないのかもしれないが、こちらアメリカは日本に先立って鳥インフルエンザが流行したので卵が値上がりした時期があった。
丸一か月以上、卵が店頭から消えるか、とんでもない値段で売られていた。
1ダースで12ドルで売られているのを目にした時はさすがに驚いた。

この話をしている時にあるツイートを思い出した。
それは「私の祖母が子どもの頃、ガラスの破片が目に入り結果的に義眼になってしまった。原因となった少年の親が箱にいっぱいの卵を持って謝りにやってきた。それくらい卵は高級品だった。」といった趣旨の話だった。

私はふと「昔は卵は高級品だったの?」と自分の祖母に聞いた。
祖母は「そうだね。でも家は鶏を飼っていたから毎日朝ごはんに納豆と卵をご飯にかけて食べたよ。まだ卵が産まれたばかりで温かかった」と答えた。

はっきりとタイムラインがわからないが、戦争中か戦後の話かと思う。またこの時期はお米が配給だったから、少ないお米にひえや粟を混ぜて炊いていたとのこと。
きっとその上に納豆と卵が乗ったのだろう。

私は実家が北海道で祖母が育ったのも北海道の田舎だった。また祖母の実家が大きな農家だったということから、比較的食べ物があった環境だったのではないか、と思われる。

私の祖父の家は商店をやっていた。
ある日、小学1年生だった祖父は母親に連れられて闇米を買いに行く。これは商店で売る用ではなく、家で食べる用だったという。
リュックに闇米を隠し持って汽車で帰ってくると、駅員に見つかって没収されてしまったそうだ。
それを「おじいちゃんはよく笑いながら話してたよ」と祖母が教えてくれた。

祖父が亡くなって8年ほど。
祖母が祖父の話をする時には声に一層愛が宿り、温かい。

今も元気に暮らす祖母も80代後半、出来るだけ昔のことを聞いておこう、と思っている。
歴史の本を読むように私の直接の歴史を知りたいから。

6月15日 木曜日

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