治安と自由は対立することが多い。 どちらかを取るなら、私は自由を選ぶ。
PASMOをモバイルにしてから何度か起きたこと。 改札を出ようとしたら、スマホの電池が切れてたということ。 自分のような老人にはカード型のほうが扱いやすかったのかもしれない。 それにしても最近の機械は充電必須で、あれも充電これも充電という状況なので、人間のほうが消耗してしまう。 いっそ自分が機械になった方がマシでは。 型は古いし性能は最悪だが。
熱中症も気圧による頭痛も、生まれてこなければこんな苦痛は味合わずに済んだ。
湿度や気温も三次元物質世界特有のもの。 苦痛。
私の反出生主義の土台は、”無“への帰還願望と”有“への憎悪である。 常々何も無いことが最強だと思う。 数字だと1よりも0の方が強いと考えている。 ”無“は何処にも属さない。 つまり絶対的な自由であり平和だ。 しかし不服にも私は三次元物質世界に生まれてしまった。 周囲も”有“なら自分自身も”有“。 この事実に幼少期から強い違和感を抱いてる。 ”有“に一度接すると、別の”有“が必要となる。 例えば「ある程度快適な生活するのにはお金がいる。お金を得るためには働く。働くためには技能
壁打ちのつもりが誤フォローしてしまった。(当該アカウント様、失礼しました) 太い指を持つ自分の遺伝子が憎い。 三次元物質世界から離脱したい。
私の場合、浮腫に一番効いたのは当帰芍薬散。商品名ルビーナ。 浮腫と膝痛が同時に楽になる。 (個人の覚え書き)
私は精神病歴が長い。 でも心は死んでない。 まず心なんてものは生まれていない。
自死を考えてる人を止めるのはまず無理。 それなら他人に損失をもたらさない無い方法を是非。 死ぬ権利を確立するべきだと思う。 基準は設けるべきだが、安楽死制度は必要。
以前反出生主義の情報を漁ってた際、偶然発見した動画ではこう語られていた。 「子孫を残さなかった人とは命のリレーのアンカー。この世界の残酷さに気がついた人である」 心理学もしくは哲学、このあたりのチャンネルの動画だったと記憶している。 私は”命のリレー“のような文学的な言葉とは無縁の粗雑な中年だが、この世界に対して強い猜疑心があるので非常に腑に落ちた。 私が子孫を残さない理由はざっくりと次の通り。 ①まず自分が生まれたくなかったので、新たな生命を作る理由がない。 ②自分は
三次元の物質世界は、私にはどう足掻いても合わないのでそろそろ決別したい。
某ソシャゲへの愚痴。 最近難易度ばかり上がって、一方報酬がセコすぎるので、アカウント消そうかと思い始めてる。 過去に飽きたからやめたソシャゲはあるが、キツくなってやめようと思ったのはコレが初めて。
公正世界仮説や性善説や理想論、これらは私にとって公害である。
ここ最近考えてること。 国という共同体がもう限界なのでは。 元々縄張り争いから発展したのが国というシステムならば、そろそろ別の枠組みが登場してもいい。
渋谷の呪術廻戦展に行ってきた。 原稿のレイヤー分けや作業工程が細かく解説されてて見応えのあるイベントだった。 作品の力強さはライブ感と綿密な計算が合わさった結果なんでしょうね。 おもしろかった。
私、女としてはかなり短く髪を切ってる。 この暑さでさらに短くしたい欲が。 スキンヘッドにした後、頭部の永久脱毛をしてみたい。