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仕事をしていて、やりがいを感じる時、親の療養場所の選択の場面で

私は、病院に勤めています。
主な仕事は、患者さんの入退院に関わる仕事、つまり私の勤める病院へ転院をしてくる患者さんの家族への面談を行ったり、入院している患者さんの退院へのお手伝いをしています。

人はどんなふうに最後の期間を過ごすのが幸せなんでしょう。
もちろん幸せのかたちは人それぞれ。それでも、選択肢がある方がいいなぁ・・・。そんな出来事があったので、書いてみたいと思います。


療養場所をどう選択するか

先日、私の勤める療養病院への転院を希望するご家族と面談を行いました。そのご家族は、患者である90代のお母さんを最近まで自宅で介護していました。今までずっと家で見てきたお母さんなので、在宅でみることを諦めきれない気持ちを抱えながら面談にきたのです。

本来なら、転院に向けた話をすることが私の仕事なのですが・・・。
今までどんなふうに家でみてきたのか。
今の不安は何か、なにが出来れば家で見れるのか。
このまま療養病院への転院でいいのか。
そんなことを聞いていく面談になってしまいました。

家で介護をする上で一番悩ませることって、排泄のことが大きい。そのご家族の場合は、今まで排泄のことは、お母さんが何とか立てる状態だったので、立ってもらって紙パンツを下げる上げる介助をして、ポータブルトイレで排泄をさせていたそうです。今は、立てなくなってしまったので、お母さんを家でみることは出来ないなぁと悩んでいたのです。

立てないのであれば、寝た状態のまま、オムツを交換するという方法がありますが、ヘルパーさんに家に来てもらってオムツを変えることもできますし、デイサービスやショートステイをうまく利用すればなんとかなるかもしれません。

ご家族は、そういう知識が少なかったのです。在宅で介護をすることを考えるときは、在宅のケアマネージャーに相談する、そんなこともわからなかったようです。

そんなこんなで、いったん転院の話は保留になり、今入院している病院で介護指導を受ける、ケアマネージャーにサービスのことを含め在宅に帰るかどうかの相談をすることになりました。

かえって家族を迷わせた面もあるかも、と思ったのですが、そもそも迷っているけれど、考える材料をもっていない家族でしたので、しっかり考えて後悔のないようにしてほしいな、そんなふうに思ったのです。

さて、どんな結果になるか・・・。

人の人生を考える

私は、患者さんのご家族と面談を行う時に、できるだけ患者さんの人となりをイメージするようにしています。

今は病気でほぼ寝たきりだったり、認知症があったりしていますが、誰でも若い頃があります。子どもの頃、仕事をしている頃、子育てをしている頃、定年を迎え老後を過ごしている頃、等々。
今までどんな人生を送ってきたのか。ご家族の話を伺いつつ、なんとなくイメージを膨らませています。

入院をしていくる患者さんをみると、ついつい若い頃があったと忘れてしまいそうになるのですが、この世に生まれて今まで80年90年生きてきて、この入院なんて、人生の最後のあたりのほんの一部です。

今だけをみるのではなく、今までのその人をみるようにしよう。そんな思いで、患者さんの生活面のお話を聞くようにしています。

つまり、点ではなくて、線でみようってことです。

そんなふうに考えた時に、その患者さんにとって人生の最後の期間をどこでどんなふうに過ごすのがいいのか。

それを考えていくことが死生観を考えるってことかなって思うんです。

最後を迎える場所

最後を迎える場所の統計調査、平成26年のデータですが、最後を向かる場所の希望と現実のギャップが見えてきます。

平成26年版厚生労働白書 ~健康・予防元年~ より引用

この高齢化社会で、仕事を抱えた現役世代が、仕事を辞めて介護を行うことはあまり現実的なことではないのかもしれません。

ただ、すべての高齢者が病院で亡くなるというのも、また現在の高齢化率を考えると現実的ではないのかもしれません。

その中で大切なのは、選択肢があって、それを選ぶ力をつけていくことかもしれません。

今回は、その選択の場面で、少し私の知識をお伝えできたことで、仕事をする上でやらなくてはいけない仕事の外に自分のやりたい仕事を再認識できたことは良かったなと思えました。

私の父の終末期の話を書いていますので、良かったら読んでみてください。


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