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誰でも同じように年を取るのですから、老後の備えも考えていこう

今日は、3連休の最終日。
今日も天気が良く青空が見えていて、車で走ると車内が暑いくらいでした。

今日は、夫が休みでしたので、金沢へ行ってきました。まずは、墓参りをして、その後、白山比咩神社に初詣に行きました。その後、ご飯を食べてから、施設で暮らす母の面会に行ってきました。

認知症の母は、私が誰かわかりません。自分が生んだ娘も息子もわからないようです。来月は90歳になる母、自分の将来をどのように思い描いていたのでしょうか。



認知症の母

約2年ほど前から施設で生活するようになった母。認知症がすすみ、昨年からグループホームで生活しています。

まだ会話も出来ますし、歩行器を使って歩いていて、排泄の失敗も少ないようです。ただ、記憶がほぼないようで、今日の面会の時も「なーんもわからん」って言ってました。でも、グループホームでの生活は、母の表情をみていると、すごく穏やかに生活出来ているような気がします。

来月、90歳になる母。誕生日祝いに外出させて外で食事でもと思うのですが、今年はちょっと私が母を連れ出す自信がありません。昨年の89歳の誕生日は、私が一人で母と外出し外で美味しい食事をしたのですけどね。

必ず、誰でも年を取る

母は、とてもしっかりとした手先の器用な、頭のいい人だったと思います(学歴ではなく、頭の回転というのでしょうか)。

年齢を重ね、父が亡くなり、孫が亡くなり、家庭で1人で過ごすことが多くなった母は、だんだんと認知症が進行していきました。

母の老いを確実に感じたこの2~3年間。
誰でも、同じスピードで年を取るけれど、年の取り方は人それぞれですよね。

母は、認知症はありますが、表情は穏やかですし、会話もできます。今は言いませんが、少し前まで「はやくあっちに行きたいわ」と、10年ほど前に亡くなった父のところに行きたい(早く死にたい)と言ってました。

私は仕事柄、高齢方と話をすることが多くて、その中で、「年をとって、もうなんも出来んわ」とか「年とったし、早く迎えにきてほしい(死にたい)わ」と言う方が多い印象があります。本心はわかりませんが、年をとることをネガティブに捉えているような気がします。

あまりにネガティブな発言が多い時は、「みんな一緒、みんな、私も含めて順番に年とるんよ」って話しています。

ホントに、次は我が身なのです。

私の考える老後

私も、もうすぐ56歳になります。
年を取ることに対して、今のところネガティブな感情は持っていません。もちろん、若い時の方が体も動いていたし、顔ももう少し可愛かった(?)ような気がするのですが、今の自分の方が好きなんです。

これから年を重ねて、もう少し生活の自由度が上がるのではないかと勝手に思っているので、これからの生活に対する期待感のようなものがあります。もちろん、今は元気だからかもしれません。

ただ、仕事は出来るだけしていきたいですし、今のようにフルではなくても週に2~3日でもいいから80歳近くまで出来たらいいなって思っています。それが、気持ちの上で張り合いになるかもしれないですし。

あとは、全国の旅行にいろいろ行ってみたいので、毎年、計画を立てていこうと考えています。それが楽しみですね。

ただ、人の話を聞くと急に体にガタがくることがあったりするようなので、健康に気をつけながらも、急に病気になることもあるでしょうから、その時は出来るだけ自宅で細々と生活をしていたなぁと、今のところは考えています。つまり、健康な場合、体調を崩した場合をシュミレーションして老後設計しておくということです。

もちろん、考えたようにはならないでしょうけれど、考えておくことが大事なんじゃないかと思うのです。

そのために、今から自宅を生活しやすい空間にすることを考えています。体が不自由になっても、ある程度自分で自分のことが出来る環境づくり。まだ、手探りですが、仕事からの知恵も生かして取り組んでいこうと思います。


さて、今日は満月(正確には、14日の7:27)です。富山は天気が良かったせいか、まん丸に光り輝く月をみることができました。そして、月明かりに照らされた夜の立山連峰がみれて、なんだか幸せな気持ちになりました。
今年の白山比咩神社でのおみくじは吉。今年はいいことがある予感^^

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