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母の偉大さ
この1週間、普段は大阪にいる、実家の母が遊びに来ています。
心理学や引き寄せ、ものの捉え方、考え方について勉強している今、少しずつ母に対する自分の感情も変わってきたな…と感じています。
今日は、以前との変化について書いていきます。
以前の私と母
正直、私は大人になってから、母のことを人としてあまり「好き」という感情は持てていませんでした。
母は、決して悪人ではなく毒親でもなく、至って「まとも」な人間です。
フルタイムで共働きしながら、姉と私の2人を育ててくれた、すごい人です。
でも、大人になって社会に出て、母を「母」としてではなく、「1人の人間」として接するようになってから、母のことを「人として尊敬できて、長く付き合いたい人」とは思えなくなっていっていました。
具体的にどんなところが、人としてあまり好きじゃないと思うかというと、
自慢話が多い
マウンティングが多い
計画性がなさすぎて一緒に行動すると疲れる
といったところです。
母に対する感情自体が、「良い・悪い」ということではないとは思うのですが、やっぱりたった一人の母親に対して、そういう感情を抱いてしまうことに、多少なりとも罪悪感のようなものもありました。
ちなみにですが、母の嫌いなところを書き出してみたら「全然大して嫌じゃないかも…」と思えてきたのは絶対ナイショ笑
ものの見方を変えたら、母への感情や接し方も変わっていった。
冒頭で書いた通り、心理学やものの見方を勉強していく中で、母に対してのイライラや、ネガティブな感情は、自分でも気付くぐらいに変わってきたな~と感じています。
自慢話が多い
➡あ~、話を聞いてほしいんだな。たくさん話をしたら、母は心地良くなるんだな。
➡何か自然と自慢話はしなくなってきた気がする。マウンティング
➡褒めて欲しいんだな。じゃあ、母の凄いところを、あからさまにならない程度に先に褒めよう。あと、私もマウンティング返ししていたけど、それだとマウンティングマウンテンの登り合いだから疲れるよね。
➡自然とマウンティングもしなくなった。計画性がなさすぎてイライラ
➡そもそも、計画なんてしなけりゃいいし、流れに身を任せる人なんだと思ったらそれでいいや。計画したかったら、自分がすればいいんだよな。
こんな感じの変化です。
ちょっと大人になって、自分の価値観も確立されてきて、そうしたら「親」ではなく「他人」として母を見るようになり、知らず知らずのうちにその「自分と違う他人」を批判してしまっていたんだなと、気付くことができました。
話を聞けば聞くほど、母は偉大。そして、大きな愛で自分を育ててくれたんだということがわかった。
そんなネガティブな感情を持っていた私は、母と心の距離を置いていたこともありました。
でも、対等な大人同士としてしっかりと話してみると、母はやっぱり姉や私のことを大切に育ててくれたんだなということが、話の端々から感じることができます。
母の人間性を決めつけていたのは私の方だったんです。
母からの愛情を感じることができた今、母との時間がとても愛おしく感じて来ました。
多分母自身は自覚していないかもしれませんが、母はこの年齢(30代後半)になった私に対して、「親との接し方」を身をもって教えてくれたのかも、
また私が人間として成長できる機会をくれたのかも、とも思えてきました。
手遅れになる前に、このことに気付けて良かった。
そんなに長い時間残されていない母との時間。
大事にしようと思います。
ママ、いつもありがとう✨
これ、母が帰る前に聞けるかな~😌
最後まで読んでいただき、ありがとうございました✨