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「ありのままで共にいる」       越 聖美 こし きよみ

 かなの家に来てから、いつの間にか1年半となりました。

 最初は「めぐみ」という生活介護のなかまと過ごす時間がほとんどでしたが、今はめぶきというせっけん販売の発送所で「だいち」という就労継続支援B型のなかまと一緒にせっけん販売の仕事に携わっています。

 せっけん販売の仕事に変わり始めた当初は先輩アシスタントに苦手なパソコン業務を教えてもらいながらなかまと一緒にせっけんを磨いたり、包んだり、たくさん話し笑い合い共に作業をしていました。

 新しい仕事を覚えるのに奮闘しながらもその新たな学びやなかまと共に作業することが楽しく穏やかに時は過ぎていきました。
 
 そんな中、先輩アシスタントの異動が決まり、頼り切っていた私は一気に不安でいっぱいになりました。大丈夫と自分に言い聞かせながらもどんどんと時間に追われ、あれもこれもやらなくてはという焦りと思うように仕事をこなす事のできない自分に苛立っていました。

 心に余裕が持てずなかまと話したり笑い合う時間も減りただただ毎日焦っていました。自分は精いっぱいやっている、頑張っている、自分がやらなくては、そんな自分本位な焦りは仕事での発送のミスになり、ある日お客様へ「申し訳ございませんでした。」と謝罪の電話をし終わると、すかさずなかまに「どしたの?大丈夫かー?ちゃんとやれー!」と言われました。
 私はカチンと腹立たしく思いました。パソコンに向かって「あれ?なんで?」と独り言をいうとまたまたすかさず「何やってんのー?大丈夫かー?しっかりしろー!」と私のそばまで飛んできます。そのたびに何だか馬鹿にされているような気持になっていました。

 そんな自分中心な苛立ちや焦りは家族にも伝わっていたのか「何かブレてるんじゃないの?」と言われ、はっと立ち止まりました。なかまの声に耳を傾けられず、作業のお願いをしたらすぐにパソコン業務に追われてしまっていました。なかまの「大丈夫かー?」のその言葉は馬鹿になどしているのではなく、むしろいつも焦っている私を見て心配してくれているんじゃないか。私の独り言にもすぐ反応するほどに私を見守り助けようとしてくれているんじゃないか。そう思えたとたんに私の心は軽くなり反省と感謝の気持ちに変わりました。

 なかまはどんな時もマイペースに目の前の仕事に精いっぱい向き合っています。私のように焦ることなく誰かと比べることなく自分のペースです。そして「今日もありがとう」そう言って作業の後、声をかけ見送るとなかまはみんな嬉しそうです。私も同じでした。誰かのために何かのために、役に立てたり喜んでもらえたりする時どこか心の奥の方が温かくなります。

 なかまは意識せずとも心のままにその温かな幸せを感じているように思います。休み時間、動けないなかまや話せないなかまのそばにはいつも誰かが見守り寄添っています。
 
 お世話をしようとしたり話しかけたり助けようとしています。そして動けないなかまや話せないなかまは大きな声を出したり涙を流したり、満面の笑みでうれしさや喜びを表します。その思いは言葉以上に心に響いてきます。なかまは目の前の毎日の日常を無心に受け取り、委ねながらありのままの自分のペースで精いっぱい生きている。私にはそう見えます。

見よ兄弟が
共に座っている
何という恵み
何という喜び

 かなの家ではお誕生日会やいろいろな行事の時によくみんなでこの歌を歌います。
 初めて聞いたとき心がジーンと温かくなったのを覚えています。私の大好きな歌です。

 ともにそこにいる。ただそれだけだけど、それこそが大きな恵み。笑い合い助け合いそれぞれの役割を日々生きていく。楽しいことも精いっぱい、感情をむき出しに大ゲンカしてもいつの間にか許し合っている。困っている人を助けようと寄り添い、全身で感謝や喜びを表現し、そして遠くにいる人のために祈る。頭ではなく心で生きている。

 なかまのそんな生き方は、私が何を大切にするべきなのか立ち止まらせてくれ、思い起こさせてくれます。
 これからも助け合い、補い合い、手を取り合って、ありのままで共にいる恵みをなかまと共に喜び合いたいです。

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