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歌曲考察:かやの木山

歌う機会があり、自分なりに文章にしてみました


かやの木山


かやの木山の
かやの実は
いつかこぼれて
ひろはれて
 
山家のお婆さは
ゐろり端
粗朶(そだ)たき 柴たき
燈(あかり)つけ
 
かやの実 かやの実
それ 爆(は)ぜた
今夜も雨だろ
もう寝よよ
 
お猿が啼くだで
早よお眠よ

作詞:北原白秋 作曲:山田耕筰



①かやの実は食べられる

「かやの木山のかやの実は、いつかこぼれて、拾われて」
かやの実は食べることができるそうで、銀杏のようににフライパンで炒ったりして、殻をむいて食べるらしいです。
「かやの木山」では囲炉裏なので、灰の中に入れておくとパチンと弾け飛んで殻にヒビが入り、むきやすくなるのかなと想像します。

②「山家のお婆さ」

まず「山家」と言うと茅葺き屋根の民家を思い浮かべますが、私の中に浮かんだのは飛騨の高山の合掌造り。一階には囲炉裏のある部屋、上階に蚕の部屋、そしてその他に、結婚しない次男(三男)の部屋があるという話を思い出しました。
この「山家」の場合もそうなのでしょうか。
限られた山あいの地域には分け与えられる土地も少なく、次男、三男は、結婚をせず、生涯 部屋住の「おじろく」として、長男の仕事(農業)を手伝うという状況が、昔はあったそうです。
結婚できない次男、三男がいるということは、お嫁に行けない娘もいるということになり、つまりそれが「おばさ」でしょう。
「おばさ」は「叔母さん」からきているのだろうと思うのですが、「おばさ」の場合も生涯、結婚しないで長男家族の一員として働くことになります。
そしてこの「おばさ」はおばぁさん(高齢者)だった可能性もありでしょう。生涯、家を手伝うということは、長男の孫の面倒を見ている可能性もあるからです。


③「粗朶(そだ)たき」 「柴(しば)たき」 「燈(あか)りつけ」の順番について

まず粗朶(そだ)は木の小枝とあります。
粗朶(そだ)は薪よりは小さく細いと思っていいでしょう。薪は、太さのある木を薪割りして作るものですが、粗朶(そだ)は手でも折れるくらいの細さの枝のようです。

その次の柴(しば)は雑木の小枝とあります。
柴(しば)は粗朶(そだ)よりも、細く小さいという認識でよいはずです。
「おじいさんは柴刈りに…」という桃太郎のくだりがあるように、柴(しば)は「刈る」ことのできる細さのもの。刈るという表現をあてるのは、草や柴(しば)であり、枝であれば切るという表現になるはずだからです。

キャンプなどで木切れを燃やし料理をした経験があると分かると思うのですが、新聞紙や燃えやすい松の葉、それこそ柴(しば)と言うようなものに火を点けて、それを火種として小枝や木切れのに火を点けると思います。

しかしここでは粗朶(そだ)が先に燃やされ、次に柴(しば)が燃やされているのです。火をつける順番が逆ではないかと思いましたが、次にある「燈(あか)りつけ」で理由がわかります。

始めの粗朶(そだ)を燃やします。その火種に使ったのは柴(しば)だったかもしれませんが、ここでは書かれていません。そして燃えている粗朶(そだ)に、柴(しば)を近づけて、柴(しば)の先に火を点けます。それを火種として、ランプに、もしくはロウソクや行燈に、燈(あか)りを灯す。
もしくは、燃えている粗朶(そだ)の上に柴(しば)を置き、燃え上がったところに直接行燈やロウソクの芯を近づけて火を点けるのかもしれません。


④「今夜は雨だろう」

火の付き加減で、湿度の変化を感じとっていたのかも知れないと推察します。


⑤「お猿が啼くだで 早よお眠よ」

この「お猿」には二つの意味合いが掛けられているようです。

一つ目・・・
木製の引き戸には、内側から戸締りの為に板戸を固定するしくみがあり、上の鴨居に差し込んで止めるものを「上(揚)げ猿」。下の敷居に差し込み止めるものを「落とし猿/下げ猿」と言い、横の開き戸に止めるものは「横猿」と言ったそうです。
「お猿が鳴くだで」は風の強い夜は、この板戸を固定する仕組みがよくきしんで鳴るのです。つまり、夜は風が吹いて寒くなるから早めに寝なさいと言うことです。

二つ目・・・
野生の猿が鳴く。
中国の漢詩には猿の声がしばしば登場し、旅情をかきたてるものとして詠まれています。長江流域で主に鳴く哀調をおびた猿の声は、唐詩に多く詠まれ、日本の詩歌にも大きな影響を与えています。猿の声は虚しく悲しい様を表現する鳴き声とされています。
したがって、そのような悲しい鳴き声を聞く前に、眠りにつきなさいということでしょう。



最後に・・・
日本語のものを歌おうと思ったときに、山田耕筰作曲の歌曲はよく出てきます。しかしながら、発声という観点から観るとなかなか悠々と歌えない、いつも抑制されているような気分だと思うことが多々あります。やはりそれは、日本語の持つ特性を生かしつつ作曲されているからではないでしょうか。「いい声」と「日本語らしさ」との相反するせめぎあいの中で、うまく歌えたらいいなと思います。






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