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高橋活日(たかはしのいくひ)と美酒の伝説


古代日本の崇神(すじん)天皇は、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)を深く崇敬し、その神に捧げるための御酒を造ることを決意しました。

その任に選ばれたのが、高橋邑(たかはしのむら)の活日(いくひ)という人物でした。


彼は酒造りの技術を持つ杜氏(とうじ)の祖先とも言われ、一夜にして美酒を醸したと伝えられています。


崇神天皇8年の冬、12月の卯の日に大神への祭りが行われ、その後の酒宴で活日が捧げた御酒を口にした天皇と群臣は、その素晴らしさに感嘆しました。活日はそこで次の歌を詠みました。

「この神酒は 我が神酒ならず 倭なす 大物主の 醸みし神酒 幾久 幾久」

この歌は、「この神酒は私が造ったものではなく、倭の国を造り成した大物主大神が醸されたお酒です。

どうか末永く栄えますように」という意味で、御酒の神聖さと大物主大神への敬意を表現したものでした。

三輪の地は、古代より美酒を生み出す酒どころとして知られており、その地の枕詞は「味酒(うまさけ)」とされています。万葉集には額田王(ぬかたのおおきみ)による「味酒の三輪」の歌が詠まれており、古代の人々にとって「三輪」といえば美味なる酒を連想させたと言われています。

大神神社のご神木である杉は、古来より神聖なものとされてきました。やがて、酒の神である大物主大神の霊威が宿る杉の枝を酒屋の看板とする風習が生まれ、現在も軒先に酒ばやし(杉玉)を吊るす習慣として残っています。

そして、現在でも高橋活日は大神神社の摂社である活日神社に祀られており、酒造りの神として人々に敬われています。このように、高橋活日と大物主大神を巡る美酒の伝説は、古代の人々の信仰と酒文化の深い関わりを示すものです。 


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