「見知らぬ人との境界線」—親切と警戒のはざまで—
私は数か月に一度、知り合いでない人に対する親切心と警戒心のバランスに悩む場面に遭遇する。
先日の夕方も、そのような出来事が起きた。
退社後、最寄り駅への帰路で、向かいから歩いてきた全身黒ずくめの20代と思われる男性に「すみません」と声をかけられた。
道をふさぐように立ち塞がられ、やむを得ず足を止めた。本来なら避けたかったのだが、私は反射神経が鈍く、すれ違い様のタイミングを計ることが苦手だ。今回も咄嗟の判断ができず、立ち止まらざるを得なかった。
すると、目前に立った黒ずくめの男性は「ブラジルって、どこですか?」という突飛な質問を投げかけてきた。
不審な出で立ちもさることながら、日本の駅前でブラジルの位置を尋ねる理由が全く理解できなかった。私は混乱しながらも、「もしかして、ブラジルという店名なのだろうか」と状況を理解しようと試みた。
そこで私は「ブラジルという名前のお店をお探しですか?」と、丁寧に尋ね返した。
ここで、なぜ私がこの不可解な質問に応じたのか、疑問に思う方もいるだろう。その理由は主に二つある。
一つは、私が女性という立場上の考慮からだ。本音を言えば、「意味不明な質問はやめてください」と突き放してその場を立ち去りたかった。
しかし、もし腕を掴まれでもしたら力では太刀打ちできないし、冷たい態度を取れば逆恨みされる危険性もある。不審な服装で異様な質問をする男性に対して、警戒心を抱くのは当然の反応だった。
もう一つは、この駅が私の日常的な利用場所だということだ。毎日同じ時間帯に利用している場所で、万が一恨みを買って待ち伏せされるような事態は避けたかった。
すると男性は、落ち着きなく辺りを見回しながら「そうです。この近くにあるはずなんです。友達と待ち合わせしていて…」と答えた。
この返答に、私の不審感は一層強まった。なぜ友人に直接確認せずに、見知らぬ私に尋ねるのか。
不気味さを感じながらも、「それでしたら、ご友人に電話で確認された方がよろしいのでは?」と、冷静を装って提案した。
男性は「そうですね…」と小声で答え、視線を落として恥ずかしそうにした。意外にも素直な反応だったが、それでも違和感は拭えなかった。
彼自身も自分の質問の不自然さに気付いていたのだろう。私は「ご友人に連絡するのが確実だと思います。失礼します」と告げ、その場を静かに後にした。
この慎重な対応の背景には、過去の教訓があった。以前にも道で声をかけられた経験があり、その時は20代後半くらいの、一見普通に見える女性だった。
ただ目的地の建物は明らかに視界に入っていたにもかかわらず、道を尋ねてきたのだ。はじめて訪れる場所で、分からなかったのかもしれないと思い、私が建物を指差して「あそこにある建物です。分かりますか?」と尋ねたら、今度は「建物の中まで一緒に来てほしい」と懇願してきた。
私の行きたい場所とは方向が反対だったため丁重に断ったが、彼女は執拗に食い下がってきた。「なぜ付き添ってくれないのか、それくらいできるはずだ」と主張するため、仕方なく「急いでいますので、お断りします」と強気な態度で、はっきり告げた。すると突如、彼女は通行人が振り返るほどの大声で怒鳴り始めた。
何を叫んでいるのか理解できないほど取り乱していたが、善意で対応した相手からこのような仕打ちを受け、憤りを感じた。怒鳴り続ける彼女を置いてその場を立ち去ったが、「もし凶器でも持っていたら」と後に恐怖を覚えた。
私は彼女に呼び止められたとき、余計な親切心を出さずに、「あそこに見えている建物ですので、そちらに行ってください。失礼します。」と立ち去るべきだったのだ。
この経験から、距離感を間違えるとトラブルになる可能性が高まると学んだ。
初対面の相手と適切な距離感を取れない人に声をかけられた際の対応についての実体験を語ったが、その体験に基づいた学びも共有したい。
安全な対応の三原則は以下の通りである。
第一に、冷静さを保つことである。相手の態度がどうであれ、感情的にならず、落ち着いた対応を心がける。これは、その後の展開を左右する重要な要素となる。
第二に、適度な距離感を保つことである。親切心から必要以上に踏み込んだ対応をすると、予期せぬトラブルを招く可能性がある。礼儀正しく、かつ一定の境界線を保った対応が望ましい。
第三に、状況に応じて自然な形で立ち去ることである。必要以上に長引かせず、その場の空気を読みながら、適切なタイミングで会話を終える判断が求められる。
このような対応が必要な理由は明確である。初めは単なる道案内や質問に見えた声かけが、思わぬ展開を見せ、危険性を感じることがあるからだ。特に体格差のある相手との関わりでは、より慎重な判断が必要となる。
結論として、他者への思いやりと自己防衛のバランスを取ることが重要である。社会生活において、見知らぬ人との適切な距離感を保ちながら、状況に応じた判断力を養うことは、必要不可欠なスキルと言えるだろう。
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