「話さない」ことの力 ー最高の人間関係を作る逆説のルール—
夫との会話で、最も考えさせられるのは、「何を話すか」ではなく、「何を話さないでおくか」という選択である。
人はいつも「自分をどう伝えるか」や「良いコミュニケーションの形」に心を砕いているけれど、「沈黙を守ること」についてはほとんど語られることがない。
沈黙の意味を語ろうとすること自体が、その本質的な価値を損なう矛盾を含んでいるとはいえ、このアンバランスさが、現代の関係性に隠れた静かな問題なのかもしれない。
すべてを打ち明け合う関係は理想的に見える。でも実は危うさもはらんでいる。
「あなただけに、話します」という誘惑は甘美で抗いがたいものだ。でもそんなふうに、無防備な開示が、相手への興味や敬意をまるで波が砂を削るように少しずつ奪っていくこともあるだろう。
むしろ、関係が深まるほど、お互いの「知らないままにしておく部分」、そのはかり知れない領域を大切に守り抜くことが必要になるのだ。
私の中には、誰とも分かち合いたくない宝物がある。心の奥に沈んだ言葉や、夢で見る懐かしい情景、夜更けにひとりで聴く音楽――それらはすでに私そのものであり、他人と共有することは自分を裏切るのに等しい。
他人に分け与えられるのは、せいぜい自分の一部にすぎず、それは私の本質から一歩遠ざかった断片でしかない。
とはいえ、私はさみしさや億劫さを感じるわけではない。それどころか、人は誰しも、手放せない「何か」を持っているからこそ、自己と他者との境界が保たれるのだと思う。
その境界があって初めて、他人と適切な距離でつながっていけるのだ。
もしその「何か」を手放し、自分を裏切ってしまったならば、人はやがて相手に依存し、相手がいなければ孤独に耐えられない状態に陥ることになるだろう。
本当の親密さとは、すべてを分かち合うことではなく、「互いに分かち合えないもの」があることを認め合い、沈黙することに宿るのだと思う。
その沈黙はただ言葉を飲み込むことではなく、もっと繊細で洗練された自己表現であり、そこには相手への深い信頼が漂っている。つまり、親密な関係において「話すこと」と「沈黙を守ること」は光と影のように互いを補完するものなのだ。
意識的に守られる沈黙が、関係に奥行きと品格をもたらし、自分自身の内面を豊かにしていく。スマートフォン一つで、誰かとつながれる今の時代だからこそ、この関係性の中にそっと息づく知恵が必要なのではないだろうか。
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