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まわり道ができない私たちは雑談を楽しめない②

今回の記事では、私たちが雑談を楽しめない状態を変えるにはどうすればよいのかを考えたい。

前回の記事は、コロナ禍以降、雑談を楽しめない人が増えている原因やその背景について考えてみた。


記事の中で、対人営業の仕事をしている私の体感での話だが、雑談力には世代間で差があり、20代〜40代前半の方は、雑談をふると身を固くする方が多いという話をした。

このように、若い世代のほうが、純粋に雑談を楽しめない理由として、常日頃からコスパを重視し、効率が悪いものを極力省こうとした結果、まわり道をすることや目的がないような会話をすることも本当に無駄としか捉えられなくなってきているからではないかと指摘した。

また私たちの世代が子どもの頃から、手短に楽しめるものを簡単に揃えられる環境で過ごす中で、自ら物事を面白がるような発想が失われ、感性が貧しい状態に陥ってしまった可能性があり、私たちが雑談できない根本の原因にもなっているというのが私の意見も述べた。

それらを踏まえ、私たちが雑談を楽しめない状態を変えるには、楽しめない根本の原因を改善しなければならないと考えている。

雑談を苦手とする人が楽しむにはというと、会話の量や質、「他人との会話の頻度を増加させる」や「自分自身の話術を磨く方法」などが挙げられることが多い。

しかし、若い世代とっては、会話のテクニックを学んで回数をこなすことより、会話の焦点を意図的にずらすことからはじめるのがよいと思う。

そのように思ったのは、3歳になる私の娘との会話がきっかけである。

彼女は自らの話したいことを脈略なく、私に話しかけてくる。言葉数も足りないので、何を言っているのか理解するのも時間がかかる。

しかし、娘は私に自分の好みや感じたことについては、しっかり伝えてくる。そして何より話すことが楽しそうである。

その娘の話を聞く側の私は、唐突に始まる会話に、最初は頭の中が、はてなマークで埋め尽くされるのだが、様々に飛ぶ話題をつなげるための質問を繰り返すなかで、彼女が伝えたいことを理解する。

質問を繰り返すことやそれに時間をかけることがしんどい日もあるが、話の焦点をずらし、別の切り口から考えて質問したり、意味が分からなくても笑顔で聞いたりするように努めている。

愛は人間を忍耐強くさせる力があると、子育てをしているとつくづく思う。

ピースを集めて、当てはめる場所を考えながら、パズルを完成させるように、娘の言葉の断片を集めて、何を言いたいのかを探るように会話をすることを続けていると、脈略がないと思われた話が実はつながっていたと分かる瞬間が訪れる。

そのようなときは、最後のピースがぴたりとはまってパズルが完成したときのような気持ちの良さと娘と私の共同作業により真実に辿り着いたような愉快さを感じる。

つまり、他人ととりとめもない会話をする良さを実感するのである。

私の娘のような最良の話し手に出会えるかは、運だが、話の焦点をずらし、様々な角度から質問をしてみたり、広い視野で物事を捉えようとしたりするために時間をかけることを許容する態度をとることはコントロールできる。

そのためには、まず、無駄を愛することからはじめるのが良いのではないかと感じている。

経験上、忍耐強くなるには、愛するのが最良と思うからである。

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