めだかと目が合えば嬉しいんだが。
昭和って、シーツがばりばりしてて起毛した敷布団がないから嫌いなんだけど、今住んでいるところは昭和か?っていうくらい子供がよく歩いていて、近所の親水公園では蜩がかなかな、ウシガエルがぶーぶー鳴いている。
小学生たちは行きも帰りも雨の日も風の日もすんげく楽しそうで、我が家の前に犬の忘れ物が落ちているときには、「あ、うんこだうんこだ」と大声でお知らせしてくれるのが助かる。彼らが学校に行ってしまうのを、家の中で聞き届けてから、おもむろにトイレットペーパーをまるめて玄関を出ると、うんこを拾いにかかる。
あるとき、うんこでなくて「拳銃だ拳銃」という声がして驚いた。時刻は午後二時頃だったか。
「拳銃なんか落ちてるわけねえだろ、あほじゃん」「でもこれ、拳銃」「本物」「ほんものだったらどうする」「ほんもののはずないだろバーカ」などの本当と嘘の応酬がえんえんと続いて、笑って聞いているうちになんだか不安になってしまって、思わず外に出て確かめた。
本物だったらどうしようか。触らずに警察に連絡か。なぜこんな昭和な家の前に拳銃が。
心配したのが阿呆でした。
あきらかーにプラスチックのおもちゃの「拳銃」がばらばらになって落ちていました(誤解を呼ぶといけないのでビニールに入れて捨てました)。
ところで先日、企画ものの小説を書いてみたのだけれど、そのなかに出てくるモチーフの一つが「拳銃」で、書きながらずっとこの阿呆な一件を思い出していた。
最近は、拳銃はもとより「うんこ」先生のお知らせもない。小学生の声もちょっと減ってさみしい。昨日は玄関の曇りガラスの向こうに猫の影が横切って外に出ると、焦げ茶と黒の立派な猫がいた。きもい声を出して気を引いてみたら逃げて行ってしまった。
さっきnoteで、猫のことを書いているエッセイを読んで泣いた。どんな猫も我が家のねこぽんではないのだが、できればねこぽんが楽しそうにしていた時を思い出すように努力している。
ところで今は、めだかを飼おうかと家人と話し合っているところ。