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怪談ウエイトレス その4
4,倒産しました
さっきからやたらに揺れるのは、外の道をトラックでも走っているのだろうか。
アイスコーヒーのグラスがうまくつかめないので、野木は行儀が悪いとは知りながら、顎を突き出すようにしてストローをくわえた。ガムシロップを三つも入れたのに、アイスコーヒーはそれほど甘くないな、と思いながらそっと店の中を見回した。客は、野木のほかに誰も居ない。入ってきたときは、ラフなファッションの男の人が座っていたのだが野木がアイスコーヒーを注文するのと同時に、勘定をして出ていった。
店はガラス張りだが、まぶしいというほどではない。
店主は、さっきから家族の誰かか自分で切ったのかと思うくらい変な方向にカットされた前髪を頭を左右に振ることではらいのけながら、グラスを洗っている。
疲れた。何も仕事をしていないのに会社に入ってから今日が一番疲れた。それはそうだろう。だっていきなり会社がつぶれて、社長が夜逃げしたのだから。
フロアの電気が切れたまま交換されないとか、上層部の様子が慌ただしいみたいなわかりやすい異変があれば、何かを察知できたのかもしれないけれど、そんな予兆はなかったし、先月の給料も満額支払われたし、今朝もいつものように出社したら、入り口に破産宣告がどうしたのと書かれた紙が貼られていたなんて、そんな漫画みたいなことがあるなんて思わなかった。
店の前の通りには、人も車も走っていない。そもそも建物が揺れるほどの大型トラックが通る道にも見えないが、店主に聞いてみようか。この建物、揺れているみたいなんですけど何かありますか、とかなんとか。
それとも、自分が揺れているのか?体が揺れるほどショックだったか、倒産。まあそうか。失業保険はすぐにもらえるとして、今月分の給料や積立金は戻ってくるのだろうか。
隣席の同僚からここ半年ほど理解の及ばない嫌がらせを受けていたので、もう彼女に会わなくてすむことだけは良かったと思う。彼女はわけもなく、人のデスクにものを落とした。それも消しゴムとか糊とか小さな鉛筆削りとか、落とされるものが小学生じみている。どれも仕事ではほとんど使わないし、こちらが拾おうとすると、まるで奪い取るように手が伸びてくる。すれ違うと、必ず肩か腕をぶつけられた。社員食堂で遠い席から大きな目をしてじっと見ていたこともあるし、嫌っているのか軽いストーカーなのかわからない。そのくせミスをすると上司にばれないように立ち回ってくれたり、ややこしい仕事の細かいメモをくれることもあるので、前者はすべて偶然で、後者が彼女の本質だと思うのが普通なのだが、自分にはどちらも怖かった。
ねえ。ねえ。
声をかけられて、一瞬彼女かと思ったがそんなはずがない。でも、いつの間にかここにいるということも。あたりを見渡したが、客は誰もいなくて、前髪の変な店主が、じっと見ていた。
「なんでしょう?」
「新作ケーキ作ったんだけど、試食してくんないかな」
「舌には自信がないんですけど、私で良ければ」
いいって、どうせうちの客が食べるんだからと言いながらマスターが切り分けて金の縁取りがある皿に乗せてくれたのは、この世で一番食べられている苺のショートケーキだった。これが新作とは?サービス、それとも新手の詐欺だろうか。あとでいくばくか払うべきなのか失業したところなのに、と思いながらフォークを差し込むと、ほどよく反発してきたスポンジの中にも、熟した苺がでぎっしり詰まっている。あまり食欲はなかったはずなのに、美味しくて涙が出そうになった。
「どう?」
「美味しいです。苺も、生クリームも、スポンジも」
「もう一切れ食べる?」
「さすがにそれは」
「サービスだよ」
「じゃあ、もう一切れ…」
おかわりのケーキは、花柄の絵が描かれている皿に、さっきより大きく切り分けられていた。アイスコーヒーが急に甘くなり、揺れはおさまっている。
「あのさあ、あとひとつ頼みたいんことがあるんだけど」
きたか。やはり、新手の何かかと思ったが、マスターが差し出してきた紙には、バイト募集、面接相談と黒のマジックで雑に書かれていた。
「ええっと、この紙を外に貼るとか、コピーしてまいてくれとかそういうことでしょうか?」
「いや。君がバイトしてくれたら、貼らなくてすむよね」
「私がですか?でも、ケーキの試食をしただけですよ。確かに今は無職ですが」
履歴書とか面接とかいろいろ嫌いなの、俺、とマスターは笑った。
「朝は九時からで帰りは六時。慣れてきたら夜勤あり。あまったコーヒーとケーキは食べ放題だから」
それから、喫茶まりもにいる。
もちろん、最初から気づいていたわけじゃない。一人でいると、妙な話を持ち出す客が現れるということに。最初のひとりふたりを、「いつも」と形容するわけにはいかないが、語られた話は全部覚えている。決して物覚えがよいほうではないのに、だ。マスターに説明してもらったことは全部メモをとり、そのメモを繰り返し読んでも、手を動かす段になるとすべて忘れているほどの自分が、なぜかそういう話だけは忘れない。
最初の一人は、会社員ふうの男の人だった。
さっき、そこの席に女の人 いましたけど、と声をかけてきたときはものすごく顔色が悪くてこの人大丈夫と思ったが、 常連客かと聞くので、首を傾けて考えていると、 そういうんじゃないんです、 ナンパとかそういんじゃとしきりに繰り返しす。
自分はこの店に入って間もないのでわからないと正直に答えると、その人は、髪の毛をかきむしりながら話しだした。
「実は自分、毎日同じ夢を見るんです。その夢に同じ女が夢に出てくるんですよ。とくに特徴のない普通の人なんだけど、全然知らない人で夢でも話をしたことはないんです。それがたった今、その女にそっくりな人を見て」
「それが、さっきのお客さんですか?」
「あれは夢の中だけの人だと思っていたんだけど、実際にいたんだって思ったらなんか怖くなりました」
夢に出てくる女性と、さっきの客を無理やり脳が結びつけたのではないか?あなたは夢に何かしらの答えが欲しかったのだ、とそんなことは口に出せなかったが、あまりにも顔色が悪いので、マスターからもらった飴をあげた。その場でガリガリかみくだくと、ありがとうと言って出ていった。
二人目は、その夢に出てくる女にそっくりの人だ。
この店は静かだから好き。大きな音がしない。みんなよく耳にイヤホン入れて歩いているけど、信じられない。わたし、大きな音に隠れている音が聞こえるの。掃除機とか、サイレンとか、踏切とか、誰かの大声とかに隠れて、小さな声で喋っている声。ぼそぼそぼそぼそって何を言ってるかはわからない。わかってしまったらとても恐ろしいことがおきるからわかりたくない。怖いものは、人間がつくる巨大な音のなかに紛れてるんです。この店は静かだから好き。大きな声の人もいないし、誰もいないものね。ケーキください。
それはたまたまアイスの注文ばかりだから、あのガアガアうるさいコーヒーミルを使う必要がなかったんです、と野木は言いたくなった。
夢の人は常連になり、静けさを求める人はあれきりやってこない。ぼそぼそ話していたのは彼かもしれない。
5,糸ループに続く