謎言語でかんがえている。
千葉県生まれで、一瞬東京に住んでいたこともあるけれども、ほとんど千葉県住まいの自分なのだが、何か小難しいことを思考しようとして、なぜだか頭の中も発する言語も意味不明の関西弁になってしまう時がある。
たまたま好きな作家さんのほとんどが、大阪あたりの人で作中にも関西弁が出てくることが関係しているのだろうか?あー、大阪行ってたこ焼き食いたい。
そもそも芸人さんがこれだけテレビに出ているからには、どうしたって「そうなんや〜」などと似非関西弁が自然に口をついてしまうよね?
たぶん、関西弁本場の人が聞いたらものすごく気持ちが悪いんだろうけれども、母親が京都出身なので、自分のなかにもそれなりに関西言葉が混じっていると思われ、昔朗読ボランティアをやっていたときに関西の人?と聞かれたこともあるのが唯一の頼みの綱?だ。
小説を書いていても、登場人物の会話をぜひ関西弁にしたいなと思うことがあり、いっそのこと関西舞台の話にしてやろか、と息巻いたこともあったが、ぜったいぜったい無理だった。
そーいや、場所の設定はいつも自分ちの周りの風景になってしまう。私の家は線路沿いなので毎日七分おきくらいに私鉄が走っていき、どうだね鉄オタの人たちうらやましいだろ、とたまーに考える。
明るい時間に風呂に入っていると、いきなり風呂場が謎の光に包まれてびっくりすることがあるのだが、それは列車が通り過ぎて太陽の光を反射させて我が家の激狭風呂に射し込んでくるからだ。
駅から歩いてくる人々を、二階の出窓から見ているのも面白い。列車が到着して最初に現れるのが自転車と原付きで、その次がものすごく早足の人。大抵の人がスマホを見ていて、たまになんか食べている人もいるし、お弁当の袋をぶら下げてあせって歩いている人なんか見ると、腹が減ってくる。歩くのがゆっくりな家人は、たいていビリ。
見られている人からすると、なんだあのオバサンでしかないと思うのだが。
深夜、終電が終わるとすっかり足音は聞こえなくなる。眠れない夜は布団の中で暗い通りを想像しているのだが、そんな時に限って自転車で大声で歌いながら通り過ぎる男の子がいる。見なくてもその声が若い男の子で、その速度が自転車だとわかるのだが、いつもビジュアル系ぽい歌をうたっており、声量は達者だがうたのほうは下手くそだ(ごめんよ)。
自分がいなくなっても、この道にはずっと自転車とバイクと早足の人と音痴の人と食いしん坊の人らが歩き続けるんだろうなー、と思うと、なんとなく安心するのであった。