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【小説】奇妙な会社 「真夜中に始まる」
「奇妙な会社」
うちの会社って真夜中から始まるんだよね、と高梨が言った。
★
「時間をなくした高梨」
その一月前のこと。
高梨の目覚まし時計が鳴っていた。デジタル時計じゃなくて、ええっと、丸い形の文字盤の上にボクシングのゴングのようなものがふたつ並んでいて、約束の時間が来るとゴングの真ん中にあるトンカチの役目をした小さな棒が、かんかんと左右に振れて音を鳴らす、とてつもなくうるさいやつ。こんな説明でわかります?
高梨は布団から右手だけ出すと、畳の上をさぐるようにして、びりびり割れるような音を出している時計を手に取った。時計は二時半を指している。昼の二時だったらよかったんだけど、窓の外は真っ暗だ。つまりは真夜中なのだ。
目覚まし時計を手にしたまま、高梨はぶぜんとしていた。彼には、もはや時刻通りに目を覚ます必要はなかった。なぜなら、勤めを辞めてから三日が過ぎていたのだから。
もう一度ふとんに潜り込み、ようやくうとうとしはじめたころ、またびりびりという音で目が覚めた。
飛び起きた高梨は、時計を思い切り投げつけようとしてすんでのところでとどまった。アラームのスイッチはたしかにオフになっているのに、音が鳴っている。電池を引っ張り出そうと裏蓋に手をかけたけが、がちこちに固まっている。隣の部屋から騒音を告げるように、こんこんと遠慮気味に壁を叩く音がした。
「すみません」
小声でそう詫びると、高梨は迷惑な時計をかけ布団でぐるぐるまきにした。時計はくぐもった声で「じゅじゅじゅじゅじゅ」と鳴く。
「時計に解雇通知を出すわけにもいかないしなあ」
高梨はそう、ひとりごちた。
それから仕方なく顔を洗い、スーツに着替えると、時計は鳴り止んだ。ふん、そういうことかと高梨は思う。
仕事用に使っていた鞄に時計を入れると、真夜中の町に出た。こいつにわかってもらうためだけに、えんえんとやめた会社に向かって歩くのだ。だが驚いたことに、そこには新しいビルが建っていた。しかも、こんな真夜中だというのに、そのビルには、つぎからつぎへと人が吸い込まれていくところなのだ。
「いったいどうなってんだ」
そう言いながらも、高梨にはなんとなく時計が鳴きだした理由が、わかった気がした。
「ここで、はたらくことにしよう」
というわけで、高梨の目覚まし時計は現在、真夜中になると布団の中でじゅじゅじゅと時を告げている。
★
「水泳中毒」
中途入社の高梨は、四階に水泳中毒社員がいるときいて見に行ってみた。だが誰もいない。戻ろうすると、廊下のすみっこでえんえんと手をかき回している男を見つけた。クロールの真似事をしているようだ。息継ぎは五回に一回。
「ああ、岡田くんでしょ。一時間に一度水泳しないとおさまらないんだって。そこの水たまりで泳ごうとしたこともあるんだよ」
戻って今見たものの話をすると、秋田さんが窓からこのビルの駐車場を指さした。
「この前なんか、デスクに置いた青い水筒を睨みつけて話しかけてたしさ。『お前は誰だ。いつから俺の家にいる』とか言ってんの。だから私、岡田くんここ、会社だよって言ってあげたんだ」
「指摘するの、そこですか?」
泳ぎすぎて、あらゆるものゆがんで見えるようになったのかなあなどと言いながら、秋田さんは高梨の胸元をじっと見てつめてきた。
「なんすか」
「それいいね」
「それ?」
秋田さんが指さした先には、シャツのポケットにつっこんであるボールペンがある。
★
「ボールペンが好きな」
秋田さんは、ボールペンが好きだ。
サイゼリアの注文用にそなえつけてあるボールペンでも、宅配伝票にサインをするために配達員さんから渡されたペンでも、もちろん文具店で書きやすいとポップのつけてある試供品のものでも、決まって、「このペンすごく書きやすい」と言うらしい。
そのたびにメーカーを確認したり教えてもらったりして、買いに行く。秋田さんの机には似たようなクラスのボールペンがごろごろ転がっているのだが、インクが減るのが惜しいなどといって、ほとんど使わない。かわりに、あまり書きやすくないからインクが減っても気にならないという三本いくらの激安ペンをまとめて買って、いいだけ使う。そのうちに、書きやすくなかったはずのそれも、「このペンすごく書きやすい」などと絶賛しだし、結果どれがどれだかわからなくなっている。
この前、秋田さんのデスクを見たら、ボールペンではなくて、uniのHB鉛筆がダースの黒い箱に収められているのが置かれていた。
「これ結構高くないですか」と高梨が聞いたら、
「いや、買ったんじゃなくておいてあった」とのこと。
「どこに?」
「家にあった。ボールペン探してたら出てきたんだ。たぶん、小学校のときのやつだと思う」
言われて見てみるとたしかに鉛筆は半分くらい削られていて、なかにはかなりちびているのもあった。
「昔、シャーペン禁止とかあったからね」
秋田さんは胸を張り、これすごい書きやすいと言いながら仕事に戻った。
みんなが会社から立ち去ったあとで、青い水筒は思う。
馬鹿だな、お前らが見ているのは水筒じゃない。
「夏だよ」
窓の外に夏が来ていた。もうすぐ岡田さんは泳ぎ放題になるのだろうか?