長いやつ
誰だったか、有名な作家さんが短い小説しか書けなくて悩んでいた時に、とにかく千枚書いてみれば、と言われて書いてみたら案外書けて、それから長いやつのほうが向いてるなって思ったという話を聞いたことがあります。
自分にとっての長いやつは、いつも公募の基準にあわせていたので到底千枚には及ばないんですが、ここ二年ほど、書いても書いても進まない小説がありまして、試しにそれをふたつに分割して書くことにしたら、アレ、すいすいと進み始めました。
いや、すいすいってほどではないんですが、とりあえず道は開けたかな、と。
なぜ進まなかったか、そして分割したら進むようになったかというと、もともとそれが、ふたつのものを合体させた話だったからなのです。
そのことを、自分でもすっかり忘れていたのです。
「この部分とこの部分が、どうやってもうまくつながらないんだよなあ」と二年間(さぼっているから実質は三ヶ月くらい)唸っていて、何が原因なんだよと考えているうちに、そこに思い至ったわけです。
そもそも自分は、頭の中に抽象的なイメージが湧いたらいきなり書き出すタイプなので、構成なんか存在しないし、登場人物はその場で勝手に登場するし、それで最後まで書けたらいいんだけれども、絶対に途中で話が続かなくなるわけです。
そこで、書きかけだった別の話をくっつける。
うまくいく確率は3パーセントくらいですね。たいてい、こことここがつながらねえんだよ、と怒り出してぶった切るということを繰り返しています。
そもそもが、長いやつが書けないということに端を発しているんだから、長くできなかった話は無理をせず、ちゃんと短く書いたほうが、心の安寧なわけです。
長いやつを無理して書いていたのは、すべて公募のためなわけで。
最近は、一気呵成に書くことに憧れてます。壁画とか書道みたいな一発勝負ですね。
noteにアップした「ハッピーアイスクリーム」という長いやつも、最初は自動筆記で書いてみたらどうなるかと思って書き出して、速攻自滅して、公募に出して落ちて、それを大幅に書き直すのにえらい時間をかけたんで、まあ無理かなとは思うんですが。
誰だったか、有名な作家さんで新人賞に出したいけれど公募の枚数をはるかに超えてしまって、持ち込みにしたら大ヒット作になったという話を聞いたこともあります。
noteは、枚数規定もなんもないからどこまでも自由で、いろんな作品を読むことができます。ネットがなければ絶対に出会わなかったなという文に。
短編小説こそきちんと書くのは難しい、という話を聞いたこともありますから、短いのしか書けないという言い方はたぶん間違っているのだと思うけれども、作品には適正な長さがある、ということだけは長く書いてきて実感するようになりました。
もっと書けたよねこいつは、と常に自戒しつつ…。