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【小説】見覚えのない写真 6.幽霊の邪魔をしませんように

 ここは蒸し暑い。
 窓がでか過ぎてやけに明るいせいだ。下のオフィスはブラインドも下がっているし窓際に棚もあるからこんなに明るくはない。人がいないから、明るさが目に余るのか。でも、物置代わりにしては、部屋全体がきれいに整理整頓されている。
 小野は課長に渡されたメモを見た。ビンゴカードの束は棚の上から三番目の紙袋、ボールペンはその横のダンボール、粗品と書かれたボールペンをいれる紙袋は、反対側の棚にむき出しで置かれていたせいで、少し日に焼けている。ビンゴ大会の準備?年末でもないのに?
 小野は部屋の中を見回した。なんの音もしなければ、なんの気配もない。
 メモに書かれたものを、はしから紙袋にぶちこみながら、小野は備品を取りにいってくれるかと頼んできた課長がついでのようにした話しを思い出していた。普通ならからかっていたんだと思うところだけれど、課長はそういうタイプの人でもないのだ。

「小野さんの机は、またカオスだね」
 仕事が一段落した小野が、ものが散らばっていたデスクを渋滞しているインターに見立てていると、課長が背後から近づいてきて言った。
「あ、課長」
「悪いんだけど、これ7階に取りに行ってくれるかな」
 いいですよ、と言って立ち上がろうとした小野に課長は、
「ところで、小野さんって7階に行ったことあったっけ?」と尋ねてきた。
「そういえば、まだないですね」
 渡されたメモには、とってくるものとその棚の配置まで書いてあった。
「気をつけてね」
「え、何がですか?」 
「7階には幽霊がいるから」
 小野が答えないでいると、課長はなぜか一歩後ずさって、
「誰も見たことないんだけど、あすこにはいるらしいよ」
「いるって、幽霊がですか?もう、課長」
 笑おうとしたけれど、うまく口が動かない。言っていることの割に、課長の顔が平坦だからか。
「あの、背中がすーっと冷たくなるとか」
「いや、エアコンないからすごく暑い。うちのビルって日当たり最高だし」
「それでなんで幽霊なんです?」
「わかんないけど、みんな言ってるから。あ、邪魔したらだめだからね」
「邪魔というと」
「幽霊に気がついたら、だめなんだって」

 そのせいだろうか。帰りのエレベーターで、小野は3階と押すところをうっかり隣の4のボタンを押していた。誰も乗っていなくてよかったと、すぐに3のボタンを強く押す。
 メモに書かれていた鯖缶のせいで、紙袋は重かった。グレーのカーペットにあちこち染みがあるのに今更気がついて、気持ちが悪くなる。4階に誰もいないといいなあ。そう思ったとたんに、銀色の箱の中に小野ともう一人、誰かが乗っているような気がしてきたが、そんなわけはないだろう。課長が幽霊がどうしたとか言うせいだ。だいたい、幽霊に気がついたことなんか、今まで生きてきて一度もない。
 エレベーターがもうすぐ4階に着くというときだった。
「おういそれとって」
 どこからか、声が聞こえてきた。なんだ、今のは?と思う間もなく、
「はーい」
 さっきとは違う声が答えた。
 うそうそ、もしかして7階の幽霊が?遅れてきた?私、なんか邪魔したか?気分を害したのかと、小野はさっきまでの行動を振り返る。
 課長に言われた通り、黙ってメモの備品を紙袋に入れただけですけど。今の声は幽霊と、その部下なのか?
 ぎゅるりとゆるい重力が、頭にのしかかってきた。ここは落ち着いて考えるべきだ。きっとエレベーターが降りていく途中で、5階あたりにいた人の声が届いたのだ。
 紙袋を反対側の手に持ち替えると、小野は息をひとつ吐いた。4階の階数表示にオレンジのライトが灯り、ドアがゆっくりと開いた。
 通路には誰もいなかった。

「佐伯さん。うちの会社って、もうすぐ宴会でもあるんですか?」
 戻ってすぐに、給湯室でほうじ茶をすすっていた佐伯さんをつかまえた。
「宴会?なんで?」
「課長に言われて、7階に備品を取りに行ったんですけど、それがビンゴカードとか、あきらかにはずれの景品で」
 ホチキスの芯、社長が書いた自費出版の自伝本、賞味期限ぎりぎりの鯖缶。十五年前の道路地図はすこしほしいと思ったけれども。
「ああ。うん、あるよ。小野さん入ってまだ半年だもんね。うち、夏に忘年会やるんだよ。そのほうがビールがうまいからって。意味不明だけど。あ、小野さんもしかして幽霊にあったの?」
「え、佐伯さんはあったことあるんですか」
「ない。ていうか、7階に行ったことないもん。ずっと前にあそこに行ったあとで、辞めた人がいた話は聞いたことあるけどね」
「そ、それって」
「その人、幽霊に向かっておーいって言っちゃったの」
 幽霊の邪魔をしたってことか?
「なんか、うえからものが落ちてきたんだって」
「もしかして、頭にあたって死んだんですか?」
 あはは、と佐伯さんが笑い、マグカップからほうじ茶がすこしこぼれる。
「あっちいな。死ぬわけないでしょ。ていうか、当たってないから。なんか、落ちてくるはずがないとこからものが落ちたっていう話」
「そうなんですね、よかった」
 小野さんやっぱりはやく片付け終わらせたほうがいいよ、変なひっかかりがあると、人は妙なものを見たがるからねと佐伯さんが言ったので、小野はエレベーターで聞いた声の話をするのはやめておいた。その日はそれからやけに忙しくなって、そのまま幽霊ごと忘れてしまった。

7に続く

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