「キリトリ線から」 夜行バスに乗って
ノートにキリトリ線があるのを見て、冬美はおおっと声をあげた。これは、三年ぶりに見るレアなやつだ。
我が帳面町(のーとちょう、と読む)には、至る所に ノートが置いてあって、住民ならなんでも書いていいことになっている。なんでもと言っもいたって平和なもので、たいていは「寿命三百歳を越したら始めたい趣味」とか「静電気を集めて電気代を節約する方法」みたいなライフハックだったり、千年前に絶滅した桜の絵なんかに感動したりしている感じで、愚痴とか悪口を書く輩がいても、すぐに電気雨に滲んで読めなくなってしまう。
キリトリは一人一枚までと決まっているから、冬美はノートを手にとるとどれを切り取るか考えながらめくり始めた。最後のページにきたところで、
「春と風林火山号に乗って新宿に行こう!」という桜色の文字が目に止まった。
それは、乗合春という人の運転するバスに乗って、バスタ新宿というところに行くためのチケットだった。バス停は町外れにあるけれども、最近は仕事も買い物もほとんどオートだし、使ったことがない。
あと、バスタってなんだろう?新宿は、新しい宿のこと?バスタだから新しい宿の風呂?夜の九時に出て翌朝到着だって。地球一周くらいしそうな時間だ。いったいどんだけ遠くに連れて行かれるんだろう。
しばらく考えて、えいやと切り取ってしまった。明日から新学期なのだ。この星で生きている平均IQ300の人らと高校に通うなんて耐えられるか。帳面町でたまたま生き残ってしまった自分は、たまたま人間としてどんな学校でも通うことを許されているけれども、できることなら行きたくはないよ。
家に戻った冬美は、バッグにありったけの私物を詰め込んだ。三年前に見つけたキリトリノートからいただいたとあるものも入れた。ひいじいちゃんが、アーカイブで見てた「太陽にほえろ!」っていう物語で刑事がみんな大事に持っていたやつだ。イラストだけど実際に使える仕様だし、これがあれば、万が一何かあっても大丈夫だろう。
チケットには席が書いてあって、冬美のそれは6Cでトイレの後ろとなっている。休憩時間にはサービスエリアに立ち寄る。どんなサービスが受けられるのか楽しみだ。
退屈すぎる寿命に辟易した両親が出ていって十年が過ぎた。ひとりきりの家のドアに鍵をかけ、二度と戻ってこないつもりでバス停に向かうと、そこにいたのは太陽にほえろで見たような、いかめしい四角い物体だった。こんなんんで走れるのか?
運転席の若い女の子にチケットを見せると、あちらです、というように視線でいざなってくれた。これが春さんか。自分以外はすでに座席についてたので、あわてて荷物を乗せて腰を下ろすと、斜め向かいに座っていたフードを被った人が、ちらりとこちらを見た気がした。
とうとうバスが走り出した。帳面町から出るのは初めてだ。両親は今ごろどこにいるんだろう。会いたいとは思わないけれど、無事でいてくれるほうが気楽でいいと割り切れるようにはなった。
めくるめく世界が窓の外に広がっている。見たことのない高いビル。横を走り抜けるたくさんの車たち。ネオンサイン。空をゆく飛行機。複雑な形の道にぐるぐると回されるバス。ここは夢の世界か。
夢見るうちに、まるで何百年ぶんの緊張がほどけたみたいに体中の力が抜けて、冬美はシートに体をあずけたままぐっすり眠り込んでしまった。
サービスエリアに到着したアナウンスが聴こえる。どうやら一回目の休憩をのがしたらしく、時刻はすでに午前二時を回っていた。立ち上がって伸びをする。バスを降りると、同じような形の車がたくさん止まっている広大な黒い地面が広がっている。驚きだ。トイレはたくさんあるし、自動販売機には、うどんやあったかいソーセージ。禁止飲み物になっているはずの炭酸とソーセージを買ってバスに戻ったがまだ誰も帰ってきていない。あ、さっきのフードの人がいる。声をかけてみよう。
あのう。
男の人は、びくっとして振り返った。
なんだ?
私、バスって乗ったことなくて。教えてほしいんですが、バスタ新宿ってなんですか。
どういうことだ?それも知らんで乗ったのか。長距離バスが初めなのか?
こんな長いのは。あ、短いのも含めて。
いいとこの娘ってわけか。
いいとこ?親はいません。
一人?俺と同じだ。俺より若いのに大変だな…。
現代は、それは大変ではないですよ。よくあることです。
そうなのか。
そう言うと、男の人はうつむいてしまった。
俺は、俺はいったい。何をしようとしてたんだろう、とかなんとかぶつぶつ言っている。何か悩んでいたのだろうか。
自分だってもう少ししっかりしていたら、もっと頭が良かっただろうし、このバスには乗ってないだろと冬美は思う。じぶん明日から高校だったんですとは言わないで、えへへっと笑ってみせると、男の人も釣られるように笑った。と思ったけれど、違う。くしゃみをしたのだ。
きみさ、何を抱えてる?
え?羽根枕ですか。これがないと眠れないんですよ。
ああ、それでか。アレルギーなんだよ。
アレルギー?それって静電気で治んないやつですか?
静電気で?聞いたことないな。余計わるくなりそうだけど。
そうなんだ。大変だなあ。男の人がまたくしゃみをすると、ガシャンと音がして足元に何かが落ちた。
なんか落ちましたよ。
いや、これは。
あ、これ、太陽にほえろで見たことあります。拳銃ですね。
そうだけど、もちろん偽物だ。おもちゃだ。
偽物?これ、お守りじゃないんですか。刑事がみんな大事に持ってたやつですよね。
何を言ってる?お前さっきからふざけてるのか、しらばくれてるのか?
え、なに?
男が身構えた。
冬美はバッグから切り取ったあるもの、を出そうとした。そのとき彼が、耐えきれずにまたくしゃみをした。
大丈夫ですか。あの、よかったらこれさしあげます。これさえあれば、って、よくひいじいちゃんが言ってたんですよ。たった一本あれば、いいんだって。それでずっと探していたんですけども、なかなか見つけられなくて。ひいじいちゃんの寿命は短い時代だったんで間に合いませんでした。
これは…、煙草か。
そうです。死ぬときに吸うんですよね。すっごくうまいんですよね。あげますよ。
でも、これ絵だけどな。
え?
いや。いいのか、そんな大事なもん。
いいんです。私はこれから空を飛ぶんで、お守りはもういらないんです。
何言ってんだ。
男の人は、煙草を大事にふところに入れた。拳銃も。それから二人は眠った。他のみんなも眠った。
冬美は思う。私は帰りのチケット持ってないんだよ。だからこれからは空を飛ぶんだ。幸い頭は悪いけれど、空飛びだけはバツグンにうまいんで。
バスタ新宿はバス停の名前。空が明るい。冬美はクロールするみたいに腕を回して、ゆっくりと飛びあがる。さっきまで走っていた道路が見える。あのぐるぐるも見える。
寿命はもう十分だ。これからは、この世界でぐるぐる回りながら飛んで、最後の命を尽くそう。
「夜行バスに乗って」企画に参加させていただきました。今日の今日企画に気がついて急いで書いたんで、誤字あると思いますが。すんません。楽しく書けました。
https://note.com/lucky_omame/n/nf804335ae1de