国際結婚した私は英語成績2でした
縁あって、オーストラリア人の彼と出会い、現在は結婚をしてオーストラリアに住んでいます。
私達、夫婦の会話は全て英語です。旦那さんが分かる日本語はものすごーく簡単な単語(挨拶程度)のみなので、日本語の理解力はほぼゼロです。
そしてオーストラリアに住んでいるので、全ての生活においても英語が主体です。
現在は、日本語より英語を使った生活をしている私ですが、学生時代の英語成績は2とかたまに良くて3…そう、平均~平均以下程度でした。
私を教えた学校の先生は同窓会などで会うとても驚いてます。
日本でも、海外でも英会話スクールや語学学校に行った事はありません。
英語関係の資格は持っていないし、受けた事も無いです。
もちろん、留学の経験も無いです。
家族は誰一人、英語の喋れない生粋の日本人です。
そんな私が、どうやって英語力を身に付けたかと言うと・・・・
体で覚えた
自分の生活環境を英語圏に移して、現地で学びました。
詳しく説明をすると、日系の会社に海外就職をしました。
なぜ海外就職したかというと、専門学校に進学し、いざ就活を始めると自分が目指している職種ポジションには、資格や知識は足りているけど、年齢がまだ若すぎた為にあと10年はできないと、第2候補も最終面接で男性優遇の為、別ポジションなら採用という連絡でした。年齢や性別が原因で採用もらえなかった事に嫌気がさし、ならもっと自分を高めようと、英語力が低くてもどうにかなりそうな国や企業を探し、海外就職を決めました。
私が選んだ国は、パラオ共和国という小さな小さな島国です。
第二次世界大戦後まで、日本の統治時代があり、現地言語パラオ語には多くの日本語が残っており、何となくどうにかやっていけるのでないという気がしました。赴任当初は、右も左も分からない状態でかなり大変でした。仕事は日系企業との取引、日本人の対応なので、日本語です。でも、社内は、日本人・韓国人・パラオ人・フィリピン人・バングラデシュ等々多国籍だったので、社内の公用語は英語でした。初めのうちは理解できない事も多くて、マネージャーに後から日本語で教えてもらったりしてました。でも、これではいけないので業務が終わると同僚のパラオ人たちと飲んだりご飯を一緒に食べたりして、少しでも英語に触れる時間を増やしました。もちろん、英単語の本なども読んで単語や熟語を沢山覚える事もしました。
英語がわからないと仕事だけでなく、自分の生活にも関わるので、今までの英語の勉強なんかの時とは比べ物にならないくらい、しっかりと頭に入って来るようになりました。実践と失敗の積み重ねで、約2年ちょっとのパラオ生活で、荒削りだけど意思疎通に問題ない程度の英語力はつきました。
日本帰国後はホテルで仕事をしてました。通常予約をやってましたが、海外での経験を生かしてメイン海外予約でした。この時は、丁寧な、きれいな英語を心掛けてました。というのは、パラオで覚えた英語は正直ものすごーく訛りの強い英語だったので、きれいな英語をしゃべる努力をしました。
その努力の甲斐あってか、今は、日本人訛りの英語じゃない、綺麗な英語を話すねってよく言われます。
多くの人が耳で聞いた言葉、言いたい言葉を一度脳内で英語↔日本語に変換していると思います。こういう脳内変換を今はしていないです。
私はパラオ赴任から最初の3ヶ月弱で相手の言っている事が聞き取れるようになりました。その後の3ヶ月で少しずつ少しずつ話せるようになりました。1年くらい経って英語脳になり始めました。日本に帰国した時は、半分くらいはそのまま、時々、日本語で脳内変換するくらいでした。
今は、日本語を話す時と同じように英語を英語で理解しています。
こうなるなるまでに、人それぞれかかる時間は違います。
単語を聞き流す程度ですが、今も英語の勉強はしています。というのは、日常生活には支障はないですが、ちょっと小難しい話とか書面を読むのには苦労する時があるからです。例えば、VISA関連とか保険とかちょっと法律とかが関わる事は言葉が難しいのです。
コツコツ努力すれば身につくといいますが、私は全部がそうとは思いません。
なぜなら、学生時代コツコツひたすら単語や文法を覚える事はしたけど私は身に付かなかったからです。覚えるのと同時に使う、間違う事の方が私は覚えました。
私はコミュニケーションを取る事で楽しみながら学ぶ事ができたのと、分からない私に、理解が出来るまでいろいろな説明で根気よく教えてくれた周の人達にも恵まれたと思ってます。家庭の都合上、お金のかかる留学や英会話スクールに行くような事は出来なかったけど、努力は惜しまず、失敗を恐れず、恥じず、わからない事は分からないとはっきり言う事で、私は英語を取得できました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?