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【SS】私が帰りたかった場所
「懐かしい……。」
思わずつぶやいた。高校生の頃、いつも読んでいた詩集。すっかり忘れていたけど、こんなところにあったんだ。何度も読んだせいかしまい込んでいたせいか分からないが、表紙はちょっと茶けていた。だけどページを開くとあの頃胸をときめかせた詩の数々が目に飛び込んできた。
「懐かしい……。」
私は無意識に同じことをもう一度呟いていた。
先日、1年ちょっと付き合った彼と別れた。仕事が休みの日に家で何もしないでいることが辛くて、とにかく色々な用事を詰め込んで外に出た。だけど必死で予定を詰め込んでいたはずなのに、なぜか今日は何の予定も無い日になっていた。かなり無理したのだろう。だけどやっぱり何かしていないと落ち着かない。仕方なく押し入れの整理整頓をすることにした。色々な物を引っ張り出していた時に見つけたのがあの詩集だった。本当は引っ張り出した物を片付けなきゃいけないかもしれない。でも今はこの詩集が読みたくてたまらなかった。居ても立っても居られず、私は本をカバンに入れて外へ飛び出した。この本を読む場所はあの場所しかない、と思いながら。
喫茶ポエムはちょっとレトロな喫茶店だ。その雰囲気が読書と合う気がして、本が読みたくなるとここに来る。木製のドアを押し開けるとカウンターの向こうからマスターが優しい声で「いらっしゃい、お好きな席にどうぞ」と呼び掛けてくれた。私は窓際の4人掛け席に陣取った。読書をするときのお気に入りの席だ。コーヒーを注文すると早速詩集を開いて読み始めた。高校生の頃、胸をときめかせた詩の数々が今でも私の心をときめかせる。時々涙が出そうになったが、周りが気になってしまい、窓の外に目をやって涙をやり過ごした。何度かそんなことを繰り返しながら私は詩集を読み進めていた。
一通り読み終わった後、少しだけ余韻に浸った。そしてもう一回読もうかと思ったが、頼んだコーヒーを飲み終えてしまったことに気づき、仕方なく席を立つことにした。
「あの……。」
お金を払った私に突然マスターが声を掛けてきた。ここへ通い始めてから初めてのことだった。
「良かったら「家」の方へ行きませんか?」
「えっ?」
マスターの言葉が意外過ぎて返事ができなかった。
「ここ、「詩と暮らす家」でもあるんです。」
「詩と暮らす家?」
「先ほど詩集を読んでいましたね。」
マスターはそう言ってにっこり笑った。以前から思ってはいたが、マスターはとても色白で整った顔立ちだ。イケメンというよりは美青年といった風貌の人だ。そんな人に微笑みかけられてなんだかドキドキしてしまった。
マスターに案内されたカウンター裏の扉の向こう。長く続く廊下の何もない壁の前でマスターは立ち止まった。
「先ほど読んでいらした詩集を貸して下さい。」
言われるまま本を渡すとマスターは本を壁に当てた。すると何もなかった壁に扉が現れた。
「さあ、こちらがあなたのための部屋です。」
「私の?」
「コーヒーはないですが。」
マスターはそう言ってきまり悪そうに笑った。
「誰も邪魔しません。ご自由になさってください。いつ出ても構いませんから。どうぞごゆっくり。」
マスターの言葉に背中を押されて扉を開けると、そこはいつも私が陣取る窓際そっくりなテーブルと椅子のある部屋だった。窓から入る光まであの席そっくりだ。私は思わず「マスター!」と呼び掛けたが、そこにはもうマスターの姿はなかった。私は恐る恐る中に入ると席についた。いつもと同じ感触。心がゆるゆるとほどけてくるのが分かった。自由にしていい、との言葉を思い出し、私はあの本を再び読み始めることにした。
この詩集は過去に何度も読んでいる。さっき一通り読んだ。だけど読んでいくうちにまた心がときめき、じんわり心が揺さぶられた。そして思い出した。高校生だった頃を。恋に恋していたあの頃を。でも何よりも純粋だった。ただ「好き」という気持ちだけだった。
先日彼と別れたのは結婚に関する考え方の違いからだった。結婚に前のめりな私とまだまだ独身を謳歌したい彼。うまくいくはずがない。それでも私は「どうやったら結婚できるか」ばかり考えていた。「好き」という想いをどこかへ置き去りにしたままで。結局私が捨てられる形で二人の関係は終わった。
そんなことを思い出しながら本を読み進めていると、胸に込み上げてくるものがどんどん溢れてきて涙が止まらなくなった。ここには誰もいない。さっきみたいに堪えなくてもいいんだ。だってここは私だけの場所だから。私は本を読みながら思う存分涙を流した。
あれからどうやって家まで戻ったのか記憶にない。だけどあの日を境に必要以上に思いつめることは無くなった。予定がない日があっても平気と思えるようになった。大きな変化だった。喫茶ポエムには会社帰りによることが多くなった。コーヒー一杯分本を読んで帰る。そんな毎日を過ごしている。あれからマスターには「いらっしゃい」「ありがとうございます」以外に声を掛けられることはなかった。読んでいる本が詩集ではないからかもしれない。
時々あの詩集を読み返す。そしてあの場所を思う。私が帰りたかった場所。そしていつでも帰れる場所の事を。いつかまたつまずいた時、あの詩集を携えて「詩と暮らす家」へ行こう。私の場所へ帰るために。
何とか間に合いました。こちらに参加しています。
そして先ほど上げた『ComingHome』シリーズの一作となりました。
今回の作品は↓の詩集がモデルです。この本には歌手デビュー直前の森高千里さんがモデルとして登場しています。気になる方はお手に取ってみてください。
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今回ヘッダーにはみんフォトの羽根宮糸夜さんの作品を使わせてもらいました。ありがとうございました🙇