〜和訳〜中央政府のヒンディー語普及政策に関する論述 Anti-Hindi agitation
タミル語を母語とする🇮🇳氏の見解
インドは各地域にそれぞれの言語と文化を持つ藩王国が集まった集合体であり、英国支配が終了した時点では各地の言語がすべて平等に扱われる前提であった。
言語に基づいて各州が形成され、英語とヒンディー語が中央政府の公用語として採用された。中央と各州政府の連絡は英語かヒンディー語を用いる。(南の州側は英語を、ほとんどの北の州側はヒンディー語を好む。)
1960年頃から中央政府は英語を排除しヒンディー語を唯一の公用語にしようと試みたが、各州からの猛烈な反対に遭い、その発表を取り下げた。替わりに中央政府は新たに「三言語政策」(すべての子供が 1.各自の州の言語、2.英語、3.他の地域の言語を学校で学ぶ)を提唱。タミル・ナドゥ州だけがこれを拒否し、二言語政策(1.タミル語、2.英語)を継続した。なので私達タミル語圏の人々はヒンディー語を最も苦手とする。
中央政府はこれまで、あらゆる手段を使って非ヒンディー語圏にこれを導入させようとしてきたが、1960年以降タミル・ナドゥ州で与党が勝ったことはなく、常に地元の党が勝利する。これはタミル・ナドゥ州の一般市民が自らの言語や文化に誇りを持っている証である。
(追記。三言語政策はヒンディー語を強制する方法の一つで、北部の州では南部の言語を学ぶことはない。私達タミル語圏の人々は第三言語としてヒンディー語を勉強することを強要されたが、その政策をタミル・ナドゥ州は拒否した。)
ヒンディー語を扇動する理由。現在タミル・ナドゥ州でヒンディー語を理解する人は3%程、英語を理解する人は18%程である。ほとんどの中央政府の機関(公教育の入試、官僚)の選抜試験は英語とヒンディー語のみであり、ここから英語をも除こうとしている。この点でヒンディー語を母語とする人々は、他言語圏の人々に比べて大変有利である。つまりタミル・ナドゥ州の約八割の人々や非ヒンディー語圏の人々は、受験資格すら有しないということになる。国家統合のためにほとんどの州はこれを受認してきた。
そして中央政府は各州へ、ヒンディー語を根付かせようとしている。(例: 州の独自の牛乳ブランドの名前を英語からヒンディー語へ変更するよう命じたが、その商品は最近タミル語と英語で併記されている。)
このような中央政府の画策にも関わらず、国全体で45%程度の人々しかヒンディー語を理解していない。私達のほとんどは、自分達の言語で日々の暮らしを送る。しかし中央政府の「ヒンディー語のみがインドの言葉である」と印象づける目論みは成功している。
そもそもヒンディー語と南インドの言語は体系的にまったく異なる。なので私達がヒンディー語を採用することは難しい。(北部の言語は体系的にヒンディー語と同類に区分される。)
これが南インドでヒンディー語が普及していない理由であり、私達にとってヒンディー語よりも英語を学ぶ方が簡単なのである。