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ぼくたちの音

普段ぼくたちが使う「言葉」というもの。それについて考えたことは、皆さまも今までに何度もあったのではないでしょうか?

言葉選びが素敵だとか、話し方が丁寧だとか。
それひとつで人の印象というのは大いに変わってくるので、ぼくなんかはもはや、言葉は人格そのものなんじゃないかと思ったりしています。

そんな結構重要なものを普段からぺらりぺらりと何気なく使っているから驚きですよね。
驚かずに使ってることに驚きですよ、ほんと。


そんな言葉を使うとき、大切にしたいなと思うことがぼくには二つありまして。
皆さまどうぞ、時間があれば聞いてってください。


まずひとつは言わずもがな「意味」ですよね。
どんな言葉にも必ず正しい用法、つまり使いどころがあります。
なんせ言葉は自分以外の人と「情報を共有」するために作られた訳ですから、意味を持たない言葉なんてなくって。


なので当然意味を知らなければ使うことも出来ませんし、間違えば誤解が生じたり、理解できなかったりしますよね。
言葉を交わす両者にとって大切な要素。
何をおいてもこれです。



そしてもう一つ、大切だと思っている要素が「音」なんです。
言葉は「音」とともにある、と思っています。

音って言うてるのに、テキストで書くことに若干の無理を感じますが、とりあえず書いてみます。笑



言葉には大概の場合、何らかの気持ちが乗っています。いや、乗せることが出来ます。
うれしい、たのしい、大好き。
見たい、聴きたい、歌いたい、、!
おっとぉ!世代に検討つけんといておくれやすー!!

まあ、上記のように気持ちを表す言葉ってのもありますが、そうじゃなくて。
音と共に全ての言葉に気持ちを乗せられる。

同じ単語、同じ文章、同じ台詞なのに、言い方次第で違う意味として相手に伝えられるのって実は結構すごくないですか?

おにぎり。
おにぎりー
おにぎり!
おにぎり?
おにぎり〜

ほれ!書いて伝えんの無理あるってば!笑
言葉を発した時に生じる音の使い分け。
それはつまり、それ自体からその人の情報を読み取る、読み取ってもらう重要な要素なんですね。


顔をあわせずとも誰とでも電子の端末で会話できるようになった現代。必然的に、テキストだけの関係性も多くなっていると思います。

音を欠いたコミュニケーションとなると、その細かなニュアンスや感情の部分をこちらが想像するしかない。
ここに結構厄介なことが起こります。
それはどんな場面においても、自分の基準、そして自分の解釈に頼らざるを得ないんですよね。
つまり、自分の経験値以上の判断が出来ないがために、その人の経験によって心理的な牽制や傾倒が生じてしまうわけです。
本当に現代における課題ですよ。


相手がどのような真意をもってその発言をしているのか、その意図がなんであるかを読み取るためには、音をまとった言葉が必要不可欠だとぼくは考えています。

表現を足してすぐ補足したり、強調のため繰り返したり、瞬間的に多くの感情を伝える事が出来る方法。
確実に的確に思いを伝えるためにある言葉最大の要素、それが音なのです。

コミュニケーションがうまい人というのは、テキストベースでも言葉の選び方や言うこと言わないことを非常に精査されていますが、それより何より、声を聞く、声を届けるタイミングをしっかり押さえているんですよね。

こんなことを言いながら、私はあまり上手くなので、慎重になったり冒険したりまちまちですが。笑
願わくば、こんなデジタル時代だからこそ音をまとったコミュニケーションについて、個々人で考え、上手くお付き合いをしていきたいですね。

いつどこであるかわからない、大切な人との出会いに備えて、日頃からどうぞ音を大切に。

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おさるのもも
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