天理教修養科1002期生の日記⑪その光景が自分に残したもの〜その弐〜
忘れられない光景がある。
自分が所属している教会で月次祭の準備をしていた。
お供えするお餅をいつも作っているらしい。
自分が手伝えることなどはほとんどなく、ほとんど見ているだけだったのだが。
餅つきは機械で。
つきあがった餅を皆でちぎって丸めて。
自分もそれより前に一度やらせてもらったのだけれど、難しいね。
つきたてでなければ硬くなるし、つきたてなら熱々だし。
そして、大きさも揃わないし上手く形を整えることができない。
そんな作業だから、やり慣れている女性陣にお任せすることになっているらしい。
いつも綺麗に仕上げてくれているみたいで、何ら手を加えることもないし、いつもの光景という感じだった。
手慣れている方が、つきあがった餅を機械から作業台に移そうとしていた時だった。
機械を置く場所だとか、作業台だとか、いつもと少しだけ配置が違っていたらしくて、ちょっと手間取るか何かでバランスを崩し、手に抱えた餅のかたまりを床に落としてしまったのね。
落としたくらい別に構わないだろう。
拾って剥がして片付ければいいし、最悪もう一度つきなおすこともできたかもしれない。
けれど、少しあわててしまったんだろうね。
その方はそのまますぐに餅を拾おうとした。
機械でつきたての餅、ものすごく熱いし粘り気もある。
そんなものを手でいくとどうなるか。
手のひら指先に高温の餅が貼り付き、瞬間的に火傷を負ってしまう。
一瞬、何が起きたか分からなかったけれど、次にはそこにいた皆が一斉に理解した。
自分も思った。
この火傷は危険だ。
すぐに手当てが必要。
冷やすのが先か、手指から餅を剥がすのが先か、まずは病院に連絡した方がいい。
床の餅も剥がす必要がある。
使えるところはあるのか。この床は綺麗になるのか。等など。
皆がそれぞれ動き出す。
冷やす方法を提案する方。
火傷の処置を調べる方。
病院を調べる方。
氷を出して冷やし始める方。
餅を床から剥がそうとする方。
そんな中、ある女性が放った言葉が自分の心を大きく揺さぶる。
「まずおさづけをさせてください」
教会長の奥さんの言葉でした。
衝撃的だった。
おそらく中程度の火傷。
自分には応急処置と病院への搬送しか頭にない。
いや一般的に見てもそれで合ってると思う。
むしろ、それ以外の行動をとることはあり得ない。
そんな、様々な行動の選択肢がある中、おさづけの取り次ぎをまず選択する。
これが天理教なのか。
何かで殴られたような衝撃。
激しく心が揺さぶられた。
なぜその選択ができるのか自分には理解できなかった。
分からなかった。
ただ、おさづけを取り次いでいる姿を見ていることしか自分にはできなかった。
添い願い?をするとか、一緒に神様にお願いするでもなく、見ていることしかできなかった。
その方はその後応急処置を経て病院へ。
後日聞いたところによると、思ったより重症でもなく、回復も早いとのこと。
応急処置が適切だったのか、
病院へ行くのが早くて良かったのか、
それとも、
真っ先におさづけという行動をとることができたからなのか。
続く