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怖いとき

怖さにも種類がある中で、ずっと一番嫌いな怖さがある。
四肢の感覚がおかしくなるのだ。
手足に力が入らなかったり、手がすごく小さくなったり消えたように感じたり、手の平に穴が空いたように見えたり。
幼少期に高熱でよく幻視・幻聴にうなされるとそうなった。
一人きりで怖い想像から逃げられないときもそうなった。
なんかよくわかんないけど自分の体がおかしくて、とにかく怖かった。

ここ数年そんな怖さは記憶の中にあるだけで実際には起きていなかったのだけど、あの日はっきりと再来してしまった。
死に向き合う謙虚な人と話していた。
スマホを持つ左手が小さく、細く、弱くなって、ぐらついた。
手に属する筋肉が消えて、骨だけになるような感覚。
あ、しまった、怖い。
それでも話し続けなきゃいけない。最大級の配慮の言葉とデリバリーで。

恐怖に占められそうな脳を宥めながら、口を動かす。
こういうちょっとパニックになりながら話すときって、頭で考えてるんじゃなくて喉が直接言葉を発してるように感じる。
しかもそういうときって大体肝心なとき。
思いやりは足りてるだろうか、伝わってるだろうか、変なこと口走ってないだろうか。
そんな不安も脳を占めて、自分が話してる内容があんまり入ってこなくなる。余計に怖い。ほら、また手が消えそう。


この怖さは思い過ごしだったようで。
後で周りに聞くと、大丈夫だよ、と言われた。
怖がりすぎだ、と少し呆れられた。

あの会話で恐怖や不安を感じた理由はきっと、私が自分の(特に瞬発的な)優しさを信用できてないから。
でも怖さの対象は何だろう、何が怖いんだろう。
誰かを傷つけること? 先が読めないこと? 手に負えないこと?

恐怖が自分の身を守るべきサインだとすれば、この一番嫌いな怖さの正体を知りたいな、いつか。
わからないまま薄れていくのでもいいけどね。

とりあえず今はもうちゃんと私の手は存在してるから大丈夫。

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