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【わたしのジョブ・カード】10,起業体験と挫折

私が利用したプログラムというものは、とにかくユニークなものでした。
「バーチャル・ハリウッド」というネーミングです。
お客様に感動を提供するために、業務時間内でもいいから積極的に行動せよ。
内容はどんなものでも構わない、自分で考え、自分で仲間を見つけ、自ら行動する。事務局は、そのグループを全力でサポートしてくれる。この活動の交通費は、全額事務局で負担する。というものです。

今だから言いますが、私がこれに応募した最大のきっかけは「交通費」でした。
全国のメンバーとの会議の為に交通費を出してくれるなんて、なんと素敵なシステムなんだと思いました。

問題は、何をテーマにするかです。
考えに考えて、あるビジネスモデルを考えました。
会社の業務のために、イヤイヤデザイン業務をしている人は多いはず。
そんな方向けに、楽にドキュメントを作れる様なシステムを構築すれば、本業の貢献にも繋がり新しいビジネスにもつながると考えたのです。

もともと、全国に同じ様な仕事をしている仲間がいたので、次々と声をかけました。特に、岡山のTさんとは仲良くさせていただいたので、パートナーとして一緒に活動することにしました。

事務局にエントリーすると、早速担当の方から連絡がありました。
私たちのサポートをしてくださったのは、事務局長のAさん。
私たちのわがままを受け止めてくれる、お父さんのような存在でした。

「バーチャル・ハリウッド」には年2回研修がありました。
小田原からローカル線で数駅行ったところにその研修所はありました。
研修室に「自由の中に規律を。規律の中に自由を。」と書かれた額が飾っています。
素晴らしい言葉だなと思っていたのですが、最近モンテッソーリの言葉だと知り、この意味が深く理解できたのでした。

この研修に集まってくる人たちは、とにかく自律している人たちだらけ。
自分たちのやりたいことを実現するために、ポジティブでアグレッシブルで暑苦しい人ばかりでした。
夜の懇親会は、とにかく賑やかでうるさいために、何度も苦情が来るほど盛り上がりました。

その中で、二人の方と仲良くなりました。SさんとAさんというお二人で一人は分析フェチ、一人は統計フェチとお話しされました。
もともと研究所にいらしたのですが、今は営業支援の現場にいるとのこと。私のプランに大いに賛同してくれ一緒に行動するようになったのです。

この、事務局長のAさん、分析統計フェチのSさんAさんとは、この先不思議な縁で繋がっていきます。

「バーチャル・ハリウッド」での活動はとても刺激的でした。
といっても、本来業務があるため半年で数日だけの活動でしたが、本来業務では会えない人に会い、行けないところにも行けます。
自分の中では、給料をもらいながら起業のシュミレーションができると思い活動していました。

この「バーチャル・ハリウッド」の活動は、とてもユニークなものだけに社内での認知が充分ではないことも事実です。
特に、大阪の販売会社では全く意味が分からない人たちもいたと思います。それだけに、たまに居ずらさを感じることもありました。
ただ、会社の制度として成り立っていますし、私の活動をバックアップしてくださる役員が、親会社にあたるY社長が担当してくださっていたので、気になりながらも活動を続けることが出来ました。

そんな中、ある提案を受けることになったのです。
新規事業開発部というところ主催のコンテストに、応募するというものでした。
「バーチャル・ハリウッド」の活動だけでは実業に結びつけるパスがあまりなかったのです。
確かに交通費は出してくれましたが、実務費は全くありません。社内の商品計画に上げるためには、数少ない機会を得ないといけなかったのです。
私は、あまり乗り気ではありませんでした。
というのも、別の商品企画の方と行動していましたし、その方との調整がどうなるのか全く分からなかったのです。

社内コンテストということと、本気で受かるつもりがないために、軽い気持ちで挑みました。
それが良かったのか悪かったのが、「優秀賞」と取ってしまったのです。
新規開発部の部長という方が、Y社長のところに駆けつけ、話をつけてくださいました。

私は望まぬ形で、横浜の開発部隊での勤務ということになりました。
大阪の販売会社から、横浜の開発部隊へ。史上初の出来事だそうです。

横浜みなとみらいの北の端に、そのビルはそびえています。
とにかくデカい。大阪の事務所の比ではありません。

しかも、働いている人たちがとても優秀な人たち。
おそらく、各地方で成績が学校で一番か二番の様な人たちが、
東京に大学に進んで、大学院に行って就職されたのでしょう。
これまでの私の人生の中で、絶対に接点が無い方々ばかり。

とにかく、業務に忠実でまじめで、疑うことをほとんどされないような方々の印象があります。

ところが、新規事業の話になると、どうもかみ合わない。
会議をしても、自分たちの利益の主張しかやらない。
利用者の利便性や、それによる利益を話しても、全く理解されない。
現場での必要性をいくら説いても、自分たちの少ない社会経験に照らし合わせて、理解しようとしない。
ジアタマがいいので、出来ない理由をいくらでも思いつく。
まるで、子供たちの砂場でのおもちゃの取り合いのような議論ばかりとなってしまいました。

私が、ここに行くのを嫌がったのはこの点でした。
絶対につぶされてしまうと思っていたのですが、はたしてその通りになってしまいました。
大企業からイノベーションが起きないのは当然で、どこもこのような事が起きているのだと思います。

いつまでいても、何ら進展が見られないと思ったので、
1年で大阪へ、引き上げることにしました。

ある程度、わかっていたとはいえ、かなりの喪失感。
何もやる気が出ないまま、大阪の販売会社へ戻ったのです。
戻ってからしばらくは、頭の中は真っ白でした。
もし、家族がいなければどうなっていたかわかりません。

とにかく、なにも考えることをせず、淡々と業務をこなしていきました。
そのうち、動きたくなることもあるだろうと。

3か月ほどたち、ある思いが浮かぶようになりました。

「学びたい。とにかく勉強したい。」と。
そうして「学ぶ」ために、「学ぶ」場所を探し始めたのでした。


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