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あったかくしてねんど板

寒さが徐々に深まる今日この頃。金魚の季節も、もうすぐそこに迫ってきましたね。

私は十五の歳の頃、金魚を放し飼いにしていた。その時、よく一緒に多摩川の河川敷を散歩したものです。銀ちゃん――そう、あの金魚の苗字は銀ちゃんというのです――は実にわがままで、朝だろうが昼だろうが、晩だろうが、散歩に行けとせがむのでした。もし私が何かの都合で散歩に行けない日があれば、代わりに、いとこの友人のおばあさんが銀ちゃんを連れて散歩に出てくれました。ある日、銀ちゃんが幼馴染との奢り奢られ論争に心を乱し、落ち込んでいたとき、おばあさんがコンビニで見つけたブリュレアイスを買ってきてくれました。それを手にした銀ちゃんが、目を輝かせて「これだ!350円するやつだ!」と喜んでいたのが、今でも鮮やかな記憶として胸に残っています。

さて、おばあさんと言えば、もし明日、足が三本生えたとしたら、どの山を登りたいですか。




あなたに、問いかけているのです。
三本足だと、歩く速さが劇的に増すかもしれませんし、使う足と筋肉が増えることで逆に疲れやすくなるかもしれません。そんなこと、誰にもわかりません。ただ、山に向かうことを拒むことはできないのです。それにしても、「どの山も思いつかない」とうなだれているあなた、日々の意識が足りていませんね。そんなあなたには、このセミナーをぜひご紹介したいのです。


さて、序章はここまでにして、今日は黒板の話をしようと思います。小学一年生の頃、あらゆる係の中で「黒板消し係」が最も人気を誇っていました。今、ふと思うのです。なぜあれほどまでに、私たちは黒板消し係に魅了されていたのでしょうか。おそらく、それは先生が使う黒板に、合法的に触れることができる唯一の機会だったからでしょう。歳月を重ねるにつれて、我々はその欲望を捨て去り、代わりに無関心な目で黒板を見つめるようになったのです。なんと悲しいことでしょう。五年ほど前までわたしの職業は黒板だったのですが、小学校高学年の冷徹な眼差しが、あまりにも心に響きました。それでも、クラスには必ず、一人か二人は、黒板消しが好きな者がいるものです。係が忘れていようが、別に頼まれていない日でも、自ら進んで黒板を消しに行く、そんな不思議な人が。黒板としては複雑でしたが、消され方が統一されると少し安心し、同僚の黒板にも紹介したくなるほどでした。



 
人生もまた、黒板のようです。

いっぱいになったら、ガラガラ~と引けば、もう一枚新たな黒板が出てくる。人生も同じように、限界に達したときはいつでもリセットできるのです。間違っても、間違わなくても、消したくなったら、すぐにでも消すことができるのです。

とはいえ、黒板を擦る音は、決して心地よいものではありません。人生も同様で、擦り続けてばかりいては、周りの人々が徐々に遠ざかっていくのです。

黒板は黒くないのに、黒板と呼ばれ続ける。緑色であっても、黒板と呼ばれることに反論することなく、ひたすら自分の色を変えずに生きる。そんな黒板のような人生を歩んでいきたいものです。

君の人生に、黒板を。

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