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峠を越える

私たちがいつも直面することは、自分が今どこにいるのかということだと思う。
どこにいるのかを正確に知る人はおそらくわずか。

目標に向かって懸命に努力している時に それが 試験の点数であったりすれば、 自分は6割ぐらいできていると数ではっきりわかるでしょう でも 目に見えない精神的な修養は 自分が どこまで到達できているか把握出来ないので困りものです。

でも実際は日々努力を重ねて学び間違いを修正し自分を高め魂を磨いていく道のりは、自分で思っている以上に前進していると思います。

自分がどこにいるかわからないという感覚こそが、ギリギリまで頑張っている証。
そのときは目が見えない。
必死なので見えないのです。

だから2割増3割増くらいで自分は到達に向かってると思っていい。峠は越してると思っていい。そんな感覚がしました。

大事なのは続けていることです。それ自体が沢山の守護があっての事。ひとりではないのです。守ってくれる存在と共に一緒に共同作業をしている。そう思えた時すでになんとも言えない無力感は消えます。

人は寂しい時に無力で、愛すべき同伴者を得た時力をもちます。まちがいなくひとりではない。そう思えた時にお腹の底から力が湧くのです。

峠をこえるのは、そういった力をいつの間にかたずさえているから。愛というエネルギーの渦の中で、むだな力を抜いてその源から存分に愛をうけとることができたとき、峠をこえているのです。




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