私は自己中だと思う
「自己中」というワードは他称である気もする。
でも私は自分が自己中な人間だと思う。
自己中ってなんだろう
いろいろな定義があるんだと思う。
わがままな人だって時には自己中だと言われる。
けちな人だって時には自己中と呼ばれる。
自分の話ばかりする人も。
でも。
私は、行動の基準が常に、
「自分の幸福や安心の為」な人を指すと思ってる。
私は自己中
あるとき、友人が私を褒めてくれた。
「困った時に自然と手を差し伸べてくれるよね。」
すごく嬉しかったけど同時にちょっとだけ申し訳ない、後ろめたい気持ちになった。
私はたぶん、そんなに良い人間じゃない。
「他人のため」に自分の行動を起こせる人は素晴らしいと思うけど、私はそうなれない。
誰かが困っていたらたしかに「なにかできないかな?」と考えるけど、それって結局自分の為。
困っている人を知らんぷりするって後からめちゃめちゃ後悔する。
「なにかできなかったかな?」って。
それが私は嫌い。
相談してくれたらなるべくポジティブに返そうって尽力するし、解決できるならしてあげたいと思うけど、それも結局自分の為。
頼ってくれた人をがっかりさせたら自分の居る意味がなんか少し薄れちゃう気がする。
自分の意義を確立し続けるための自己防衛何だと思う。
ほら。
やっぱり私は自己中。
周りのおかげ
実はずっと、こんな自分が嫌いだった。
お節介でうざがられた事もあったし。
嫌われちゃった事もあった。
なにか欲しいの?って怪訝な顔をする人もいた。
でも私は、申し訳ないけど自分のために行動してしまっている。
つまり、行動を制限された結果自己嫌悪が増すばかり。
一方で今は。
私のお節介を「優しさ」だなんて素晴らしい変換をしてくれる周りに恵まれた。
こんなに居心地が良くてよいのかと思うほど。
私は自己中だけど。今は幸せにいれてる。
きっとこれは。
周りのおかげなんだと思う。
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