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馬見塚 喜康 夜の窓

記憶をまさぐられた。

並んでいる夜の窓を見つめながら、この景色をどこで見てきたのかと自問自答する。
部屋の中に干してある洗濯物、人の気配、カーテンの揺らぎ。
それらにどこで出会ったのかを思い出そうとする。

幼いころに祖父母の家に遊びに行ったときだろうか。
それとも学生時代、ひとり暮らしを始めて友人と一緒に出歩いた夜の街並みの中だろうか。
夜の窓を見つめながら、一体、自分はこの窓をどこで見つけてきたのかと考える。

馬見塚まみづかの絵は、見る者の記憶を揺さぶってくる。
どこかで出会った情景を、確かに見てきた風景を、絵の中に濃縮してから還元してくる。

確実にどこかにある記憶。
でも、どこにもない記憶。
現実世界には存在しないのに、現実として存在しているもの。

自分の中に、想像として存在していた夜の窓が、馬見塚の絵にあった。
まるで点と点がぶつかり合って線を引いたように、僕の内部で連鎖反応を起こし続けた。
この窓も、この窓も、そしてこの窓も、知っている。
僕という人間の内側にある記憶の一部が、ここに現れている気がした。

絵は記憶だ。
そして記憶は価値だ。
記憶を共有できた瞬間、人は心が揺れる。

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