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桜庭一樹『私の男』
圧倒された。
読みやすいのに、読み進めにくい。
この先を読んではいけない気がしてくるからもう読みたくないのに、どうして、なんで、と理由を探したくなるような物語だった。
過去に向かって走っていくのが光の中に向かって走っているようにも見えて、光は未来ではなく過去にもあるのだと思わせてくれる。
読んでよかった。
家族のカタチ
他人と比べてはならないもののひとつとして、家族があると思っている。
人それぞれに、家族がある。
人が存在している以上、親がいる。
例え離れ離れであっても、親子はある。
血って、怖いなと思う。
僕も祖母から息子、つまり僕の父親と間違われたことがある。
寝転がっている姿がそっくりで見分けがつかなかったらしい。
血って、遺伝って、恐ろしい。
僕は、父親とキャッチボールをしたことがない。
というか、父親に遊んでもらった記憶がない。
不仲であったわけではない。
単純に、仕事人間だった父親が家にいなかっただけだ。
だから、父と息子という関係性が、いまいちよくわからない。
男同士で何を喋ったらいいのか、いまだにわからない。
僕が起きるよりも先に仕事へ向かい、僕が寝てから帰宅していた父は、今考えると偉大だと思う。
同時に、そんなふうに自分はなれるだろうかとも考えてしまう。
きっと、なれない。
あんなに自分より家族を優先しているような人に、僕はなれない。
父親と触れ合う機会がほとんどなかったから、幼少期、中学生くらいまでは、大人の男の人が怖かった。
身近にいなかったから、この人たちが何を考えているのか理解できなかった。
自分よりも大きな身体をした男の人は、みんな恐怖の対象だった。
どれだけ優しくされても、心のどこかで怖いと感じていた僕は、小学生時代、男の人が担任だと全然喋らなかった。
逆に、女の人が担任だと、すごくよく喋った記憶がある。
こんなこと、他の人に言ってもなかなか理解されないけれど、僕にとって、大人の男の人というのは、近寄れない対象だった。
それが、父親とのスキンシップ不足によるものだと決めつけるのは早合点だけど、無関係だったわけではない気もする。
大人になった今は、父親は僕にとって尊敬の対象だ。
子どもだったときは、ちょっとよくわからない人だった。
だから、父親と仲の良い友人を見ると、どうして?という疑問が生まれていた。
友人の家にその子の父親がいたりすると、仕事してないの?とも思っていた。
そうそう、父親と一緒にお風呂に入ったこともない。
けど、一度だけ、従兄弟の叔父さんと一緒にお風呂に入ったことはある。
初めて、大人の男の人と密室で二人きりになったのだ。
僕が小学生の頃のこと。
お風呂場で、叔父さんから、学校のこと、友だちのこと、勉強のこと、いろいろ聞かれたのを今でも覚えている。
強烈なできごとだった。
いや別にお風呂場で何かあったから強烈だったわけじゃない。
お風呂場で大人の男の人と二人きりという場面が強烈だったのだ。
極度の人見知りなのに、免疫のない大人の男の人と、風呂場という狭い空間で二人きりなんて、地獄すぎた。
ずっと泣きそうになるのを堪えて湯船に浸かっていた。
いろんな家族のカタチがある。
そこに正解なんてない。
不正解もない。
それでいい。
『私の男』は読めてよかった。
出会えてよかった本だ。
ありがとう。