38.思いがけない出来事
人生って、色々なことがありますね。
先月、英語レッスンをしてくださっている先生から大怪我をしたとの連絡。
頚椎損傷で暫くお休みとなったが、海外に住んでいらっしゃるので、時々メッセージのやり取りはできていた。
Yちゃんの入院もその頃で、心配事が重なった。
先週から英語レッスンも再開し、Yちゃんも無事退院。
ホッとした。
二人が落ち着いた頃、今度は義妹が入院していたことを聞いて
どうして教えてくれなかったの⁉︎
「伝えたつもりでいた〜」
と、家族。
全く能天気だ。
しかも聞いた当日、これから手術とのこと…
「直接言えばよかったね。
ごめんね。
落ち着いたらお線香あげに行くね。」
と、義妹からのメッセージ。
そんなに大した手術じゃないって言っても〜
心配だよ〜( ; ; )
そんなやり取りの後、私が高校生の時からお世話になっている、当時のバイト先のK店長が、大怪我をして入院したと、お嬢さまから連絡が入った。
その後のやり取りで、ドクターヘリで運ばれた先の病院で、手術をして一命は取り留めたものの予断を許さない状況とのこと。
首から下の麻痺。
どんなに明るい人だって、ご家族を含め、状況を飲み込めるまでには時間がいる。
急いで、当時のバイトの仲間たちに知らせた。
私は、このnoteで幼い頃からの記録を残しながら、自分の過去を振り返りつつ楽しんでいる。
私が一番、能天気だった。
noteに書くことも、なかなか先に進んで行かず、すぐボーッとしてしまう。
急に色々な事があり過ぎて、ちょっとまだ、頭の中が混乱中。
でも、私のこれから先の人生もまた、何が起こるかわからない。
私の経験してきたことなんてまだまだちっちゃな出来事ばかり。
K店長は、私が50歳くらいから始めた日本舞踊の舞台を、昨年観にきてくださった。
「上手だったよ。」
と、涙を滲ませて喜んでくださった。
私、いくつだと思ってるんですか〜⁇
冗談など言いながら、笑った。
そして7月、友人の萩原千代さんの20周年アニバーサリーコンサートにも雨の中、池袋まで来てくださった。
しかも開演2時間近く前に。
「もうおじいちゃんだからね、歩くのが遅いんですよ。
だから早くで出てきました。」
と大きな花束を差し出しながら笑った。
お昼ゴハンを食べずにいらしたとのことだったので、楽屋で一緒におにぎりを食べた。
会場では飲食禁止だったので。
こういうのも、なんか楽しい♡
そろそろ同窓会の計画も立てますね
「みんなに会いたいなぁ。」
K店長は、懐かしそうに上を見上げてそう呟いて微笑んだ。
最後の同窓会は、バイト先のあるお店の近くで、2017年が最後。
大体3〜4年おきくらいに計画していたから、次の同窓会の計画は、コロナ禍で延期。
K店長のお嬢さまから連絡を受けた次の日、バイト先のお店の近くに用事があったので、見に行ってみた。
そのお店は今でもある。
懐かしい出来事が走馬灯のように浮かんできた。
K店長は、食品が床に落ちているのを見て、高校生の私に、
「汚れたところを掃除するのではなくて、汚さないようにするんですよ。
だから、踏み潰されて床が汚れてしまう前に拾えば汚れませんね。」
と、拾い上げた。
「お腹空いたね。
一緒に食べようか。」
と、一度だけ、お店の裏にある吉野家の牛丼を奢ってもらった事がある。
懐かしい事がたくさん。
ある時の同窓会の帰りに聞いた話。
朝、自宅から駅まで、ゴミ拾いをしながら行くそうで、いつもゴミ袋を持ち歩いている。
ある日、電車の中で吐いてしまった人がいて、介護は他の人に任せ、自分は床を掃除したそうだ。
「あの時は、手袋を持っていなくてね、素手で掃除したんだよ。
それから手袋を持ち歩くようにしているんだ。」
と笑って話してくれた。
私なら、できるだろうか。
思い出に浸りながら、帰りの電車に乗った時、お嬢さまから二度目の連絡。
夜、お電話で現状を色々説明してくださり、
「意識のあるうちに会いにきていただけませんか?」
お嬢さまのその一言で、決心した。
誰にも会いたく無いという言葉を聞いた後だったので、私が会いに行くことを許してもらえるならと、スケジュール調整して行くことにした。
…なのに、なのに…
行くと決めたその日、東京駅に着いた途端、台風の影響で、新幹線、在来線ともに、すべての電車が止まったと、アナウンスがあり、電光掲示板にも表示された。
informationセンターでも
「その場所へ行く電車は、一切ありません。」
お嬢さまと電話で話しながら、一旦私は帰宅することにした。
その後も、再開したと言っても数時間動かない状態。
店長の事を思いながら、心の中で謝った。
どうか生きてほしい。
この先、想像もつかないような試練もたくさんあるけれど、それでも、家族のために生きてほしい。
必ず、会いに行きます。
だから…待っててほしい。