9.ピアノをやめた日

 ある日、レッスンに行ったら、まだ私の前の生徒さんがいて、歌のレッスンをしていた。

すご〜い!!お姉さん、歌が上手ねぇ…

当時の私は、ピアノの先生は、ピアノしか弾けないと思っていた。

歌とかも教えちゃうんだ。凄い!!
いいなぁ…私も歌が上手になりたいなぁ…

そのお姉さんとは、何度かすれ違いになった。
声量もあるし、感情を込めて歌うお姉さんの声に、いつも惚れ惚れとして聴いていた。
お姉さんは、何かの試験のために集中してレッスンを受けていたみたい。

お姉さんの歌のレッスンが終了した頃、A先生が私に言った。
「まさえちゃんも歌、やってみない?」

ひゃあ〜わたしが歌⁉︎
上手く歌えるかなぁ…あのお姉さんみたいに。
ステキだったなぁ…
私も歌のレッスン受けたら〜
歌手になれちゃうかもしれないじゃない。
そしたらどうしよう。困っちゃうなぁ…(^^)

「ちょっと歌ってみましょうか」

曲目は覚えていないが、頑張って歌った。
本当に頑張った!!

「まさえちゃんはピアノが一番いいね。」

どういうこと⁇
下手くそだってこと⁇
見込みもないって事⁇

先生から、それ依頼、歌の話は一切出なかった。
なんと悲しい…虚しい話。

私はいつかピアニストになりたい。
そのためには勉強も頑張らないといけないけど、なんとも苦手。
洋裁も大好きだけど、それはあくまでも趣味としてやりたかった。
母は、自分と同じようにお裁縫の道へ進んでもらいたかったみたい。
だけど、私がどれだけピアノが好きかということは、母もわかっているから、洋裁学校の話は私にはしなかった。
でも、A先生には話していたみたいで、大人になってからそのことを知った。

中学は普通校へ進学した。
音大付属の学校も考えたけど、先生と母との提案で、中高は普通科、その後音大を受験するように勧められた。
私もそれを望んだ。

その将来のことを考えてだろうと思うけれど、母は
「A先生のところは辞めることにしたよ。」
と言った。
それだけは嫌だったけど、
「あなたの将来のため」
と言われると、何も言い返せなくなる。

音大に向けて、違う先生の教室に通うことになった。
今度は男の先生。
痩せ型の背の高い、髪の毛も肩ぐらいまである先生。

母と先生のお宅へ初めて行った時、一曲弾くよう言われた。
それは母から聞いていたから練習していたのに、上手く弾けなかった。

「左手がうまく動いてないね」

違うよ。ここにくるのが嫌なだけだよ。

その日から、ハノンと、左手を動かす練習のための楽譜を毎日練習することになった。
左手だけの、左手のための楽譜。

どうしてあの時急に左手が動かなくなったんだろう。
いつもの指じゃない。
うまく動かない…
とても悲しくなった。

私は、楽しく弾きたいと思った。
義務じゃなくて、
強制じゃなくて。
この先生のところにいても、私の音は帰ってこない、と思った。

結局、この先生のレッスンは辞めることになった。
母とも相性が合わなかったみたい。
A先生のところに戻った。

それからしばらくして、私が13歳の秋、癌で母は亡くなった。

A先生のところには通っていたけれど、色々あって(理由は後ほど)ウチは裕福ではなかった。
父からは、中学を公立に転校して欲しい、ピアノもやめて欲しい、と言われていたが、言うことを聞かず、学校もピアノも続けていた。

ピアノの発表会、
今考えれば、最後の発表会。
新しい服も買えないから、普段着の中でも、キレイめなワンピースにした。
母が買ってくれたワンピース。

母が亡くなってから、家事もこなしていた私は、疲れてしまって練習も思うようにできていなかった。
きっと先生はよくわかっていたに違いない。

発表会では、思うように弾けず、この場から早く立ち去りたかった。
みんなは両親が来てるのに、私は一人。
それまで必ず母が来てくれていたのに、今日は一人。

きっと、この時にはもう限界を感じていたと思う。

高校生になったらバイトして、レッスン費を稼いで、ピアノがまた弾きたい。
それしか私には取り柄もない。
早く高校生になりたい…
中学生の時はいつも、そう思っていた。

高校生になって、すぐバイトを始めた。
自宅からとても遠い、碑文谷にあるダイエーの造花のお店。
めちゃくちゃバイトした。

A先生はある時私に言った。
「バイトしたお金でピアノを習いにきてもいいけど、バイトで疲れちゃって練習できないでしょ。
ピアノは、もっと楽しく弾かなくちゃ。
必死でバイトして、練習時間もなくて楽しく弾けないなら、無理しないでピアノは辞めなさい。」
返す言葉もなかった。
その通りだった。

「もっと生活に余裕ができて、楽しく弾けるくらい余裕ができたら、また習いにきなさい。
今のままだったら、ピアノを嫌いになっちゃう。
そうなってほしくない。」

私は、たくさん悩んで、たくさん泣いた。
先生の言う通り、大好きだったピアノが疎かになっていた。
左手も、思うように動かない時がある。
ハノンをいっぱい弾いても、戻らない。
先生が好きだって言ってくれた音が戻ってこない。

私はもう弾けなくなるのではないか、それなら今辞めちゃった方がいいのかもしれない。

私はピアノを辞める決心をした。
17歳の時。

…続く……🌙


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