「生誕と死へのお金」

「葬式代を貯めないと」
母がつぶやいた。

「死活しませんか?積立プラン御説明しますよ」
近所の斎場営業マンが我が家を訪ねてきた。

「葬式代も貯めずに死ぬなんてなんて親不孝なの」
「誰が葬式代払うと思ってるの。」
「一番安いプランでいいわよね」
身内が亡くなった時の親戚内の会話はお金の話ばかりだった。

「生まれてくれてありがとう」と毎年のように誕生日の時は、贈り物や料理にお金を精一杯かけるのに。
何故、この世から送り出す時は「ここまで生きてくれてありがとう」と感謝と涙でお金をかけることをしないのだろう。

死因が何であれ。
生きていたことは確かなのだから。
生誕を祝ってお金を使うなら、生きていたことへの感謝にお金を使うのも当然なのではないだろうか。

葬式代を自分で貯めることは偉いと思う。あるに越したことはない。

だが、それはまるで自分の誕生日会を自分で開催するのと同じ感じだ。

「こんな葬式するので、費用は全てこちらもち。みんなよかったらきてね!」

悲しいな。
誕生日パーティって自分以外の人達がアイデア出してお店を選んでくれたり、手作りケーキ用意してくれたり、贈り物を渡してくれるから嬉しいのに。
自分で会場を計画して自分で贈り物選んで全て自費で祝って人を呼ぶ催し事とか嬉しいか?

たった一人を世から送り出す一生に一度しかない事に。
大人数人が快くお金を使おうとしないその思考は、あまりにも私を不快にさせた。

私は決めた。
自分の葬式代は貯めない。

そしてもし母と別れる時がきたら。
私はどんな手を使ってでも快く送り出すお金の使い方をしよう。

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