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「mokoのキッチン物語~広島の果物屋から始まった、波瀾万丈!?料理人生その2」

失恋、そして再出発


広島で就職するつもりだった私。しかし、高校時代からの彼女に失恋
(早く結婚したかったから専門学校に行ったのに・・・) その悲しみから自殺未遂まで…。山の中で「死ぬな~!」と声が聞こえたが誰も居なかった!
(その時母の顔が脳裏に浮かび、私が死んだら悲しむだろうな?と思った)

道中、出雲の民宿で泊まりそこの主人から人生苦労話を聴きました。
(自殺しようと思っている顔をしていたのかも知れません)
多くの人に助けられ、支えられたけれど、 どうしても広島に帰りたくなかった。 
彼女のことを忘れようと新しい女性と交際したが、うまくいかず彼女のことが忘れられなかった。(私は彼女の代わりは出来ないと言われました)
立ち直るのに3年半もかかった…時間が解決してくれる・・・は本当!!)

そして、気持ちを整理するため東京・渋谷の中国料理専門店に就職しました
修業は人間関係含めて大変だった。辛い時は、母に電話で愚痴っていました。
母曰く「話せる相手がいるだけで幸せ者だよ!」と・・・後になって意味がわかりました。

母の病、そして帰郷

2年半後、母が癌の手術のため広島へ帰ることに。 私は、母の八百屋を手伝うため、広島へ戻った。(この時初めて父がお金を家に入れてないことを知った)
朝早くから市場に行き競りをし(慣れるまでは人に頼んだ)仲買で商品を揃えて店に帰り陳列して値段をつけ
販売
する。術後少しの時間一緒に仕事をしていろいろ教えてもらった
ただ、接客が初めてで相手は熟年の女性がほとんどで、私は21歳「あそこの店より高いとかボロだとかもっと安くしろだとかサービスしろだとか」言われて鬱状態になり恐くなりましたが、言われたことが嘘だとわかったら気持ちが楽になり「どうぞあちらの店でうちより高い野菜を買ってください・・笑」と言えるようになり「あんたも言うようになったね!」と常連客になってお客さんを連れて来てくれるようになりました。
帰ってすぐに自動車免許を取得! (教官に、八百屋の常連さんがいて、休みの日に試験コースを教えてもらい、ちょっと得しちゃった!笑

運命の再会、そして転職を決意

広島に戻って、妻と市民バンドで再会! 実は彼女、高校の吹奏楽部の後輩だった。
(お兄さんは高校の同級生) そして、友達から交際がスタート。    (当時は付き合っている彼氏がいた)
母の術後の経過は良好だったけれど、 私の将来を考えた母は、お店を売却。 私たち親子は、知り合いの大手八百屋に就職した。母は家族のことを思ってか無理をしていたのだと今では思う。

将来のことを考え、妻との結婚も視野に入れていた私。 そんな時、祖父が市民病院の入院患者の食事を作る仕事を見つけてくれた。 地方公務員という待遇面に惹かれ、 1人採用だったからダメ元で受けてみたら、なんと合格! (人事課課長に、私の知り合いの同級生が、職場の同じ課には、うちの八百屋の常連さん(課長)がいた! 人の繋がりってすごい!

母の決断、そして苦難の結婚、母の死

母は、自分の寿命のことを悟ったのか、 父と離婚
(この時期サラ金の人が父の果物屋に取り立てに来ていた。        心配になって私たち兄妹に財産を残すためだったと思う)
そして、母の余命宣告。 半年持つかどうか… そんな状況の中、6年間反対されていた妻の両親に、 結婚を認めてもらうため、毎日毎日お願いに通った。 泣かれたり、罵倒されたり… それでも諦めなかった
(母が亡くなる前に結婚して安心させたかった

お父さんが「結婚は認めないが、娘を祝うために式だけに参加する」と言われたので
式は仲人(高校の担任)の教え子の家(キリスト教会)で行いました。
母は結婚式には出られず、家で待機。 式後、そのまま家に帰り、母に報告して、 一緒に写真を撮った。直ぐにパーティー会場に移動
(母は次の日入院。 一緒に生活することはなかった…)

披露宴は、会費制のパーティーで行い、祖父の元部下が働いているホテル、 式場の調理長は職場の上司の知人、 司会・ピアノ・ウエディングケーキは私の同級生。 新婚旅行は、東京で働いていた店の先輩が働いているホテル (東京・軽井沢・水戸・横浜)に挨拶代わりに周り報告。
東京では高校のクラブのOBが集まり 本当に、人の縁を感じた瞬間だった。

結婚を機に、義母からお寺に入信することを勧められ母の病気を治したい一心で了承した。 これが、私の人生を大きく変えることになる
半年後、母が他界 51歳という若さだった。 孫の顔を見せることはできなかった… 私は30歳になったばかりだった。
お通夜の式が終わり母と二人きりになって気が緩んだのか「ワァー!」と声をあげて泣いたときに「泣くなー!」と私が死のうと思ったときと同じ声
聞こえて驚き口をふさぎました。

最近になって知ったのですが、幽体離脱した人が自分の人生をドラマを見るように流れていくそうです。その時自分に声をかけたりするそうです。
それを聞いて納得しました。「死ぬな!」「泣くな!」は自分なのだと
始めは守護霊かな?と思っていましたが、自分なら合点はいきます。

ちょっと話が反れたかも知れませんね
お許しください。でもこれからまだまだ不思議な話はたくさんあります。

「次回は間に合わなかった母の夢、そして未来へのお話をします。
お楽しみに!」





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moko@人生のレシピ
私はボランティアで子ども食堂を支援しています。財政が厳しく赤字で子どもたちに 美味しい料理を食べさせてあげたいと始めました。ご賛同される方いらっしゃいましたらよろしくお願いします。