大垣の御首神社は本当にちょっとしかお参り出来なかったが、どうにも気になって、調べてみた。

[今から約千年前、平将門は時の朝廷の政策に憤りを覚え乱(天慶の乱)を起こした。しかし藤原秀郷・平貞盛等に鎮められ、将門は捕えられ首を討たれた。
その首は京都に送られさらし首となったが、故郷恋しさのあまり獄門を抜け出し関東へ戻ろうと飛び立った。
この異変を知り、美濃の国南宮神社では、将門の首が関東に戻ることにより再び乱の起こることを恐れ祈願したところ、神社に座す隼人神が矢をつがへ東に飛びゆく将門の首を射落とした。(その時、隼人神の射た神矢が飛んでいった道筋を矢の通った道であるとして、現在の大垣市矢道町がある。)
この首が落ちた荒尾の地に将門公を神として崇め祀ることによって再びその首が関東に戻らぬよう、その怒りを鎮め霊を慰めるために創建されたのが、御首神社であると伝えられています。
そのため当社は、桓武天皇第六代の皇胤平将門公の御神霊をお祀りしている神社であり、その御神徳は古くより知られ首から上の諸祈願に霊験あらたかで、全国各地からの参拝があります。特に年明けには、中学生や高校生の受験生が多数詰めかけ、普段のご祈祷と相俟って拝殿は身動きも出来ないくらいの混雑を呈します。
また、正月三ヶ日は参道が参拝者で埋まり、一日中長蛇の列が延々と続きま す。近年は首上の病気平癒はもとより、健康(ぼけ防止)や学業成就を中心に、交通安全・家内安全・商売繁盛・厄祓いなどが願われています。首上のご神徳から、帽子やスカーフなど首から上の着装品の奉納が数多くあり、病気回復や勉学の向上等が祈願されます。]

と神社のホームページに書かれていた。平将門の首は御首神社で留まっているのだろうか? 

  東京のパレスホテルのすぐ側に平将門の首塚があるので行ってみた。大きなビルが立ち並ぶなか急に空き地が現れ、そこに祀られている。綺麗なお花が供えられている。休日だったからなのか誰も居なかったので、首塚に手を合わせると、丁度ビルの間を通った一筋の光が首塚にスポットライトのように当たり、
「首をありがとう」
と声が聞こえた。呆然として立っていたら、光がスーッと消えた。はっと我に返り、振り返ると,敷地の外に人が沢山並んで,私のお参りが済むのを待ってくれていた。慌てて敷地から出た。
「すごい光でしたね。神々しい景色でした。」
と声を掛けられて、皆にも見えていたのかと驚いた。
 皇居も近かったので寄りたかったけど、天皇誕生日の一般参賀の為に、ものすごい混雑していたので、行かずに、東京の神社を廻ることにした。
 新橋あたりを廻った。新橋と言えば烏森神社が有名だ。駅からすぐだし、肩をすぼめたような不思議な鳥居ですぐわかる。参拝も御朱印もすごく人が並んでいた。藤原秀郷が平将門を打つときに戦勝祈願をしたところだ。
 次に、塩釜神社に行った。伊達藩の江戸屋敷の近くにある。今は管理する人が常駐してないのでかなりさびれている。公園が隣接してサラリーマンの憩いの場になっているらしい。
 最後に、新橋にあるのに日比谷神社というところに行った。もともとは日比谷公園の中にあったのを移したらしい。瀬織津姫様を祀っているので瀬織津姫様ファンには人気の神社だ。姫神様たちが定期的に瀬織津姫様に会いたがるので時々来る。虎ノ門ヒルズが出来てから、急に発展した街で、綺麗な道が出来て瀬織津姫様も驚いておられると思う。

 学生時代、病院の救急部でアルバイトしていたので、かなりの重症な人たちをたくさん見てきたが、首が胴体から離れることはまずない。そんな簡単に切れない。だからフランス革命のときに効率的に人を殺すためにギロチンが発明されたわけだ。
 エジプトの神話でも体をばらばらに切って元通りに出来ないようにするという場面の描写があるが、身体のパーツが揃っていれば復活出来る可能性があると信じてこられたということだ。
 だからこそ、平将門が復活しないように首と胴体を別にしておくことは最重要課題なのだろう。