前回のブログの論理矛盾(笑)を指摘されましたので説明します。繭の中に閉じ込められてはずなのに、どうして友人に憑いて出て来れたの?というご指摘でした。繭を張らないと、どんどん出て行って悪さするものもあるので、張ってあるけど、繭の中に入った人に憑依出来ると、人に付いて出てしまえるのです。逆にそれを利用して、聖木から切り取った板に霊をお乗せして、結界から出して、お運び出来たりするわけです。
ぶどう寺は「武道寺」なのかと思っていたら、本当にぶどう寺と呼ばれるものがあった。山梨のお寺でぶどうを手に持った仏様があるので、通称、ぶどう寺と呼ばれているものだ。ちょうど、甲斐一宮に行きたいという人がいたので、その友人あたりで声を掛けてもらい総勢4人でドライブしながら行くことになった。
甲斐一宮に行きたい人は、全国の一宮を廻っていて、今回が最後!
これで全国の一宮を制覇することになるそうだ。甲斐一宮は浅間神社と書いてあさまじんじゃと読む。浅間山がご神体だ。
「どうしてもあなたと行きたかったの」
と言われ、私じゃなくてコノハナサクヤヒメ様と行きたいってことだよな、と思いながらも悪い気はしない。甲斐一宮浅間神社はコンパクトながら良い空気感がある。コノハナサクヤヒメ様を祀ってあるところは、子供に関するご利益を謳っているところが多い。そのせいか、家族連れが多く、ほっこりする。七五三の季節になると、着飾った子供たちが沢山いて華やかでいい。
一緒に行った博識の男性が独自の歴史観を持っているとやらで、いろいろ話してくれて渋滞も気にならなかった。だいたいこういう時は、大事なメッセージを伝えられていると思うので、真面目に耳を傾けるようにしている。
「私は万葉集が好きで、市原王が好きなんです。能登内親王の旦那さんですよ。今でいう愛子さまの旦那さんみたいな立ち位置です。でもね、その人、万葉集くらいしか出てこないの。二人の子供たちも不遇だったんだよね」
と話上手だ。
「私は阿弖流為とかも好きでさ・・・」
阿弖流為ですか!?と、つい前のめりになって聞いてしまう。彼はますます調子づいて
「阿弖流為興味ありますか?・・・阿弖流為って何人か、何世代かいると思うんですよ。そのなかの一人が、この、ぶどう寺で産まれたと思っているんです」
そうきたか!と驚きが隠せない。聴いてくれる人がいることで彼はますます饒舌になる。
「阿弖流為が坂上田村麻呂に連れられて都に来て、処刑されたんだけど、そのとき、東北では反発した様子がみられないんだ」
というので、私もつい
「そう、それが私も疑問でした。移動距離が半端ないのも気になってましたけど、複数の人が阿弖流為を名乗っていれば、それも説明がつきます」
と言うと、彼も深く頷いて
「だから、処刑された阿弖流為は西日本の人、というか朝廷側の人だったと思う。そして市原王と考えると、結構、説明がつくと思う」
私と一緒に居る男性は複数いるのかなと思っていたけど、皆、阿弖流為なのだとしたら、彼らが、私に伝えたいことは何か、やって欲しいことは何か考えなくてはならない。
「この4人で、また、どこか行きませんかあ?」
と提案してみた。
「阿弖流為の悲恋がずっと気になっているんだ。一緒に、探しましょう」
と言ってくれた。一夫一婦制でもない時代だけど、悲恋という言葉がとてもしっくりくるような気がした。
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