第二話:はじまり
いつも通りの金曜日、いつも通りその日の仕事を終えて私はいつも通り上司の飲み会を断り、いつも通りの電車に乗る。
自宅最寄りの駅に到着していつも通りではない出口から地上にでる。
先週まではいつも通りの出口を出て、いつも通りバーで飲んで帰宅していたのだが今日は新しくできたバーに飲みに行くことにした。
今まで毎週金曜日にいきつけのバーに足しげく通っていたのだがそこのバーテンが新しく店を出すと聞いてちょっと気になったのだ。
帰宅方面とは逆の方向にできたらしいのだ。
いつものバーに行こうとも思ったのだが自分でも思っていた以上にそのバーテンの事を気に入っていたらしい。
あいつがいないんだったら行ってもなぁ
結局新しくできたバーに行くことにした。
場所はバーテンから聞いているのでそこまで歩いてみるとこんな道があったのかと驚いた。
この町に住んで既に20年以上になるが知らなかった。もちろん駅の反対側と言う事もあるのだろうが駅から徒歩5分圏内でこんな裏路地があったとは。
裏路地に入って数歩進むとバーテンが言っていたビルがあった。
結構古い感じがする。
ビルの入り口も照明が足りておらず薄暗いし、足元を見るとチラシやゴミが散乱している。
エレベーターに乗り込み5階のボタンを押す。
人が5人乗ったらぎゅうぎゅうになりそうなエレベーターの中にはいくつか広告が雑に貼られている。
聞いたことのないような恐らくビル内に入っているのだろう居酒屋の広告、近隣にあるのであろうキャバクラの広告、格安simの広告なんてものも貼られている。
5階に到着してエレベーターの扉が開くとそこには多くの客がいた。
しかし驚くほどに静かだ。
もちろん完全な無音と言うわけではない。
騒いでいる客がいないのだ。
店にはjazz classicが流れており談笑する客達もいるのだが誰もかれも酔って大声を出すようなことはない。
カウンターに目を向けてみると、なるほどこの半年、毎週顔を合わせていたバーテンが立っている。
バーテン、いやマスターだ。
マスターがこの店の雰囲気を作っているのだ。
マスターがこちらをちらりと見て
「いらっしゃいませ。今週もお仕事お疲れ様でした。」
と言ってきた。
「結構にぎわってんじゃん。」
そのままマスターの前のカウンター席に腰を下ろす。8席ほどあるカウンターには私のほかに数名座っている。
「おかげさまで。いつものでよろしいですか?」
「あぁ、いつもの。」
初めて行くバーでいつものって言うのもおかしな話だがマスターはいつも通りの動きで、いつも通りの酒を作って、いつも通りの言葉で
「おまたせいたしました。」
と言ってきた。
行きつけの店が変わった。
バーテンがマスターになった。
でもいつも通りの金曜日だった。