愛犬の死
実家のマリーが今年2024年7月19日深夜に天国へと旅立ちました。
16年間、という長い長い年月、私たちと過ごしてきてくれました。
私の闘病で苦しい時代に、ある日ふと、ペットショップで目が合い、私が通る度にポーズをするお茶目で愛おしかった。
いつも隣で母と共に向き合い、いつしか、家族はマリーという存在から大切な何か教わるようになっていました。
教訓とも言えるような示唆が沢山感じられる、
それでいて、温かい心の持ち主で。
去年の倒れた日は突然だった。
私は熊谷にたまたま帰って、東京に戻る朝のこと。
もしかして…
皆が集まる中、辛いはずのマリーは上半身を起こして、辺りをぐるっと皆んなの目を見回した。
目をつぶったら終わりだと思ったのだろうか、必死に耐えているマリーが見ていられなかった。
咄嗟に、マリー!皆んなが声をかけた。
お願い…連れて行かないで…と泣き叫ぶ母の姿…
忘れられない。
一命を取り留めたものの、癌だとわかり、もう時間がないのではないか、
そこから1日1日を…
限りある中で、各々はマリーと会話するようになった。
感謝の思い…惜別…いつなのか、わからぬという別れが伴うものに対する声かけというものほど、胸に込み上げるものはない。
マリーはそれに応えるかのように、毎日毎日を必死に生きてくれた。
しこりは大きく大きく広がっていったが、1年という想像を超えた短くも長い時間、マリーはマリーをくれた。
倒れたあの日に、でなくて、
思いの内を伝えることが許された時間を、私たちにくれたことを感謝しています。
16年間そばにいてくれてありがとう…
……
マリー
自分がもう生きられないと知っていたら
あの目で、あの眼差しで何を語る
聴こえる?
ありがとうと言う言葉を
お母さんに
闘いを共にした日々が嬉しく愛しい絆
会話した数えきれない思い出が時間を埋め尽くす
限りなく広がる空にもう一度
生まれた意味 今を生きる意味を問いかけあった
2人の間に愛する時間は流れた
どうすればもっと愛せる どうすればもっと感じられる
それが目の前にいるお母さん、あなたです
ずっと見てきた 2人で見てきた
同じ景色を
いつもと同じ
温かくて懐かしい
ずっとそこにいるから
……
これは
マリーが亡くなって辛そうにしている母を思って宛てて書いたものです。どうか、安らかに、どうか永遠に。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?