2024年2月29日のわたしへ。突然ですがお手紙です。
2020年2月29日は、いつもと同じ一日です。
4年に一度の今日だけど、特別なことはありません。
4年後に思い出すような記憶も残っていないでしょう。
noteを書いていなければ。
というわけど、4年後のわたしへ。唐突なお手紙です。
1年後の自分さえ想像できないと言うのが口癖な私が、4年後なんて想像できているわけがないのですが、元気に動き回っているでしょうか。
2020年2月29日のわたしは、自分の役割や社会に貢献できることが思いつかなくて悶々としています。
「コミュニティの中での自分という存在」の悶々を、そろそろ打破したいと思ってはいるところです。
4年後には、さすがに……その悶々の日々を懐かしむくらいになっていてほしいです。がんばります。
宇宙兄弟は37巻がでました。最高の1冊です。
ハイキュー!は来月42巻です。
あきない世傳は今月8巻がでました。
3月のライオンは15巻の年です。
新刊を楽しみにしている作品は終わったのでしょうか。全てを見届けることができていたら幸せです。
そして、新しい楽しみが、始まっていたら嬉しいです。
2020年までの私は、自分の仕事について悩まなかった年はなかったですな。
今の職場で何を頑張りたいのか、何をやりたくてここにいるのか、できることできないこと、やりたいことやりたくないこと。
そんなこんなを考えるのが嫌になって、ずるずるとのばしのばしで過ごしてしてしまったこともあるし、考えたって無駄なのだとあきらめたこともあるけれど、結局あきれめきることもできず。
考えて落ち込んでまた考えるを繰り返す本日です。
4年後には、人の目ではなく、自分の目で、自分を判断することができるようになっているでしょうか。なっていてほしいです。
「変化と成長と貢献」を体感できて、本気になれる場所を、今年は見つけるつもりです。
どんな過程を経て、そこにたどりつけるのか、未知ではあるけれど、あきらめずにたどりつきたいと思います。2024年には、あのとき頑張ってよかったなぁと思ってくれている事でしょう。
女性らしくあることや、可愛らしくあることが苦手で、自分はそんなタイプではないと思っていました。
正直、自分が今、身をおく環境では「可愛らしい人」「きれいな人」「愛嬌がある人」が重宝されます。重宝という表現はちがうかもしれないけれど、そこにいることをわかりやすく喜ばれています。
私は、そんの中にいて、自分がここにいる価値はあるのだろうか? と考えて、とても寂しくなる経験を何度かしています。人は見た目ではない、なんて絶対に言えない。じゃあ、私らしいかわいらしさというものがあるのだろうか?
自分の中身の問題もあるだろうとは思っています。
可愛い人は、見た目がかわいいだけなのではない、とわかってはいます。
素直であることや、クレバーな受け答え、ウィットのきいた話し方、ノリのよさや愛嬌のよさ。相手を思うやさしさ。自分にはない魅力的な部分がたくさんあることもわかっています。
でも、私にだって、きっと魅力的で素敵なところはあるはずですよね……。と、なんていうかすごく「なんで私は」が、巡ってしまう日があったんですよ。
それでですね、私は、かわいらしさとか、美しさとか、「見た目」にこだわってしまう自分を、やっと認めました。
可愛いとか女性らしいっていうのは、自分らしくないって拒否していたけれど、可愛らしさとか、女性らしさを自分が意識してみても、誰にも認めてもらえなかったら空しいなって、思っていたんですよね。(直接的に、ブスとか可愛くないとか言われなくても、4人でいて3人にはかわいいという言葉がかかるのに……という状況です。これってうまく説明できるようになっているかな)
どうしても、「自分の好み」でジャッジすることもあれば、ジャッジされることも多々あります。
他者がジャッジした結果に胸をいためることが、意味のないことだともわかっています。
それでも、自分の存在意味を他者にも与えてほしいと思うことは、無駄なことなのでしょうか。
専門的な解決方法あるのかもしれませんが、今はそんな風に感じてしまう自分がいることを、ただただ悲しくも、さみしくも見つめている事しかできません。
なんだかちょっと暗い話題でしょうか。
大丈夫です。今はまだ苦しいけれど、大丈夫な気がしています。
「自分らしく生きること」という漠然として目標を、どれだけ具体的に表現していけるか、2020年の私の課題として取り組んでみようと、今日決めたのですよ。
見た目も、中身も、言葉遣いも、話し方や立ち振る舞いや、何を着るのかも。「自分のため」を通して、他者のためになればいいなと思うのです。
2024年の私が何を選択して生きているのか、ちょっとだけ楽しみになりました。
ところで、わたしは星占いでこつこつと積み上げていくことが得意だと書かれるのだけど、今は、このnoteくらいしか続いているものがありません。2024年には、なにか引き継げているものがあるでしょうか。
noteは、世界でどんな存在になっているのでしょうか。
4年後も、私は書き続けているのでしょうか。
「言葉で人の歩みを止めることも、
背中を押すこともできるならば、
できるかぎりぼくは背中を押す人でありたい」
――「なんで僕に聞くんだろう。」幡野広志著 より
私は私の背中を押す言葉を、綴っていこうと思います。
2024年2月29日も、笑顔と共にあれるように。