旅の始まり 高知~道後温泉~松山~三津浜港
安政六年十月二十一日 長崎方面へと送り出された。出発前に公金五十金を封のままで受け取って帰ると、同じ社中(同社)の者が四、五人来て別れの盃を酌み交わした。大いに酔って、ようやく黄昏前に緑幽亭を出発した。下許武兵衛殿は早い時刻に先発したと承っていたので頻りに足を早め、夜八時を過ぎる頃にようやく井野町に着いた(以上、原文直訳)。
案内人が下許のいる町家に導き、そのまま床に臥しました。
二十二日~二十四日 二十二日は早起きして月の光の中で舟を呼び、川を進みました。その日は、岡林常之助(下の記事を参照)の実家に止宿、常之助の祖父と「大いに喜酒を酌み、夜もすがら談じる」翌日、険しい山道を進んで国境の関所用居を越え、伊予国に入りました。
二十五日 山道の深い霧の中から道後温泉が見えて来ました。「気力躍然、勇み立って進んで行く」道後町のやや繁盛している茶屋に投宿しました。隣に妓楼があり、管弦の音に話し声が混ざって聞こえます。宿の「僕夫」に案内されて温泉をめぐり、思わず長風呂。宿に戻って下許の注文で酒を飲んでいると、妓楼へと誘いに来る者たちが余りにしつこかったので、下許は声を荒らげて叱りつけました。
二十六日 朝飯の前後に風呂に入り、朝八時過ぎに松山に向けて出発しました。広大な城下に感心し、厳然と屹立する天守閣を仰ぎ見ました。午後、港町の三津浜に行き、旅舎の主人が明日は備後に行く便船があるというので予約しました。その後海岸を歩いたりしている内に夕方となり、下許と酒を飲みつつ晩飯を食べました。「老婦の按摩が来て肩や腰を頻りにもんだ。隣の楼から枕元に、浄瑠璃を歌う声がひどく物寂しく響いた」
二十七日 朝飯後、下許と「海湾」を散歩すると、港には多数の漁船が停泊していました。瀬戸内の「海水は油の如し」とここの表現は紋切り型。港から人の声が幾重にも重なって聞こえるので行ってみると、老若男女が入り乱れ、問屋が運び入れられた魚を声を張り上げて売りさばいていました。午後、迎えが来て舟に乗ると(瀬戸内海は穏やかで)舟酔いしません。「夕暮れ時、北條村港にいかりを下シ泊まった」その夜、水夫に頼んで積んでもらっていた樽酒を「他の乗客と一緒に開栓し、互いに少し酔って、舟中に枕を寄せ臥して寝た」
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