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「弥太郎 長崎蕩遊録」11(閏3月下旬~6月)

<丸山への執着に悩まされつつ帰国> 「蕩遊録」最終回。岩崎弥太郎が土佐へ帰還する旅の最中と高知帰着後に記した丸山遊郭への追憶、旅宿での出来事や遊興、長崎での不始末の後処理、長崎でのゆかりの人物の消息を取り上げる。いわば「長崎蕩遊録」全体のエピローグである。

丸山への尽きない思い

閏3月22日 夕方、島原半島有明海沿いの上代かみしろ(神代)に到着、文武館(修業宿)がなく、吉田屋に投宿。障子越しに聞こえる三弦の音や話し声に悩まされた。

閏3月23日 島原に到着。文武修業宿に断られ、豊島屋七五郎方に投宿。老婆が敷いた布団の上を無数の虱が這い回る。「昨日は花月楼で錦綉の布団の客、今夕はへいの外に襤褸ぼろを着た人々」宿が余りに汚なく、せめて半風しらみの少ない布団を出してもらおうと酒や料理を頼み、老婆に孔兄チップを渡すと、前より良い布団が出て来た。

 隅田と対酌。二人で外出の後、隅田は宿と交渉して「この地の売女」大阿関小阿関阿益阿兼はりんの中から一人を呼んで迎え、臥した。弥太郎は小さな屏風一枚を隔てて、「地理全書」を読んで寝た。「長崎のことを思わずにいられなかった」

閏3月24日 熊本に渡る舟が出ず暇。旅宿で崎陽(瓊浦けいほ)日録を読んで丸山での遊びを追憶し寂しい気持ちになった。夕方、遊女大阿関を呼ぼうとしたが果たせず。

閏3月25日 熊本到着。大根屋新八の知己の宿を取った。隣の楼の弦鼓の音が騒がしく、殆ど花月楼にいるかのような思いを抱いた。

4月1日 豊後水道の港町佐賀関に到着し、高島や文次に投宿。夕方、街を散歩すると、白粉おしろいにかんざしの女性たちに行き会う。宿に戻ると「当地第一級の名妓」阿龍阿縫を呼んで歌と酒。阿縫は故あって去り、阿貞が来て舞う。夜中を過ぎ、二十一、二歳の超絶美女阿龍を弥太郎が先に選び、隅田は面白くない様子。「ねやの中での情味は問わずとも知られる」

後悔にさいなまれる

4月2日 弥太郎は、四国へと渡る舟に乗る前に「恋々とする気持ちを断ち切った」と書いた。海を越えれば、もう長崎丸山には戻れないと覚悟を決めたようだ。

4月7日 長崎と旅中の借金を計算して隅田に手形を渡し、高知近くの町で別れた。弥太郎は自らが不遇時代を過ごした家のそばを通り、長崎で志がならなかったことを大いに悔いた。姉婿の家に到着。歓迎されたものの眠れず。夜中に辺りを徘徊。ホトトギスが鳴き、雨が激しく降り出した。「長崎での過ちは自らの過誤だった!」

4月8日~12日 8日 義兄宅で「寝ようとすると長崎での遊蕩が思い出されて、後悔し、心配になって心神が安まらない」 9日 寝る前に長崎で使った金の会計記録を見直した。10日 下許武兵衛から預かっていた薬とオランダの酒と書状一通を下許家に届けた。12日 崎陽蕩遊録を認めた(「崎陽蕩遊録」という語の初出)。

4月13日~18日 13日 親戚や友人に長崎について語った。隅田が来て共に酒を飲み、夕方に別れた。15日 崎陽蕩遊録を認め、かつ見直した。中沢寅太郎(長崎での同僚)を訪ねたが不遇会えず17日 夜中「夢うつつの内に、長崎での痴情の思い出が行き来した。笑うべし」18日 土佐藩参政吉田東洋に拝謁。長崎での愚行と無断帰国を詰問され、涙を流した。

4月22日~29日 22日 故郷安芸の家に帰着し両親と再会。長崎での遊蕩を思い出し、人の子としてなすべきことではなかった、と改めて思う。24日 長崎で金を使いすぎたので融通してほしい、と近在の旧知に依頼。29日 年貢を納める役所で長崎の話をした。

帯刀を禁じられる

5月6日~23日 6日 出府のため高知の義兄宅へ。風邪気味。夜、寝ながら花月楼のことが思い起こし、恋しくてたまらなかった。14日 下許から高知に帰着したとの知らせが届く。15日 下許宅に行き、色々と長崎の話をした。23日 藩の役所に出頭、役目で行った長崎での暮らし方が良くなかったと聞いている、などと申し渡された。

5月24日・25日 24日 昨日長崎でのことで咎められたのは覚悟していたものの、両親に申し訳なかった、と綴る。長崎での公金運用について、恥ずかしくたまらない、とも。25日 下許が義兄宅に来て「かつ談じ、かつ笑う」

5月26日~6月9日 26日 藩役人の知人から、弥太郎の身分が今後どうなるか情報を聞いた。弥太郎は仮に下士の身分を与えられて長崎に出張したが、不始末の咎で元の地下浪人に戻されることになった様子。29日 長崎での公事に関する書類を認めて下許に託した。その後、吉田参政を訪ねて文章や学問について長時間談話。6月9日 藩の御勘定方に赴き、長崎での出費の清算をし、金を返した。

6月14日 安芸に帰る。「長崎のことで譴責を受けたのは承知で、少しもはばかることはないが、またまた双刀を脱いで家に帰ったことは何とも面目なく、慚愧ざんきに堪えない」(弥太郎は前にも処罰されて帯刀の身分から落とされたことがあった)

6月19日 叔父宅に行く際、両刀をさすことを禁じられて短刀しか身につけていない自らの姿が残念で恥ずかしい気持ちがあり、(人に会わないよう)田んぼの中の道を通った。


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