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弥太郎、反省の弁を記す

三月五日、六日 弥太郎は、土佐から来た下横目(下級警吏)の目が気になって落ち着きません。今井純正に関する動向を探ったり、これまでの遊蕩を反省したりします。

三月五日 「雨ナラズ晴ナラズ終日かげル」昨日約束した林雲逵うんき宅に行くと、先客がありました。「江戸からの書生がいて、異国人のところへ来たことに恐怖しているようで、(訊ねても)姓名すら答えず、はなはだ面白くない」林とは清の学校制度のことを詮議し、次は通訳官を同道して、として日を約しました。

 寓舎に戻り、下許武兵衛と下横目の純次が今井について談じるのを、そばで聴いていました。夜、弥太郎は昨日の会計のために花月楼に赴き、裏門から密かに入って老婦と談話をしていると、以前漢文を教えた同宿者とおぼしい声が聞こえました。「余は大いに驚愕し、刀を取り直して部屋を出、闇をついて庭の木の下まで逃走した」弥太郎は豪胆なようでいて小心です。

「老婦は余の恐怖心を察し、明かりを消した静かな部屋に招いて酒を用意したので、余の精神は稍いくらか安らいだ」歌妓もそばに来ます。夜が更けて帰りました。日記の結語では、自らの今のありさまを激しく嘆いています。

ああ、余の節操のなさは甚だしい。老いた両親は故郷の家にいて、貧しくとも親に尽くす孝行の道から外れてしまった。今時こんじの外遊は国家(土佐藩)の委任が厚いからではないか。なのに酒を飲み、肉食をしている。上は国家にそむき、下は慈しみ深い両親に恥じる行いだ。天の神も地の神も汝を許すことがあろうか。ああ!

嗚呼甚矣、余之無持操乎、白髪在堂、久違菽水之歓、況今時之遊国家之委任亦不薄、而飲酒喫肉之事、上負国家下恥慈親、天神地祇豈容汝乎哉、噫々

六日 午後、二宮如山の塾を訪れて、千頭寿珍や青木軍兵らから今井順正の件で話を聞きました。彼らは、下許らが(つまりは弥太郎も含めて)今井を陥れたと言わんばかりで「全く理解できなかった(甚不可意)」。弥太郎は帰りに同道した千頭を飲みに誘いますが、「気色不快」と断られました。

 弥太郎は、今井の自陣ホームである二宮塾に自ら赴き、今井の擁護者である千頭を飲みに誘う「空気を読まない」人間でもありました。今井は一月中旬、故郷土佐の縁者に手紙を出し「濡れ衣を着せられ無失の罪」をかけられたと記しています(下の「はるかな昔」アカウントの記事参照)。下許、弥太郎、中沢の「三人の衆」も同じ考え(同腹)だ、と。今井は二宮塾の同門にも、当然こうした話をしていたはずです。

 その後、下横目の生野泰吉(名字はここで初出)を訪ねますが不在で、泰吉の同僚の純次と談話をしました。この中で、今井が土佐からの出国許可を「食して(欠いて)」いるのではという疑惑が持ち出されています(実際、後に今井は無断出国の罪で禁則処分を受けている)。

 夜、雨の中を出かけて、弥太郎は姪(甥の意味)喜太郎と弟弥之助に唐筆(中国製の筆)を買いました。土佐に帰る中沢に託すためと思われます。「寓舎に帰り、明かりを灯して家族あての手紙を書いたが完成せず、そのまま空が明るくなるまで倒れ臥していた」

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